中原

なかはらNakahara

全国292位 ・ 約7.6万人

中原(なかはら)は、遠江・加賀などに中原荘、下野に中原大原荘、そのほか相模・武蔵・上総・佐渡・美作・肥前・肥後などにこの地名がある。

4件の公開家系図に 4人

基本情報

読み
なかはら
ローマ字
Nakahara
全国順位
全国292位
推計人数
約7.6万人
全国比率
日本人のおよそ0.062%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

中原をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Nakahara読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 遠江国(静岡県)
  • 加賀国(石川県)
  • 相模国(神奈川県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

中原(なかはら)は、遠江(静岡県)・加賀(石川県)などに中原荘、下野(栃木県)に中原大原荘、そのほか相模(神奈川県)・武蔵(東京都・埼玉県)・上総(千葉県)・佐渡(新潟県)・美作(岡山県)・肥前(佐賀県・長崎県)・肥後(熊本県)などにこの地名がある。 【1】中原連 ― 十市氏の一族か。『拾芥抄』などに見える。五郡神社記に「十市御県神社、云々。鴨主(王)命は事代主神の長男である。天日方命ともいう。これが中原連らの祖である」とあるが、取るに足りないだろう。 【2】中原真人 ― 天武天皇の子孫で、『日本文徳天皇実録』仁寿元年九月の記事に「従五位下 弘宗王が奏して、子である男八人について、その王号を改め、中原真人の姓を賜りたいと請うた。これを許した」と載せ、また『日本三代実録』貞観十六年二月の記事に「左京の人・中原真人正基に○原真人の姓を賜った。その先祖は舎人親王の子孫である」と見える。 【3】(物部)中原宿禰 ― 物部氏の一族で、『日本後紀』弘仁四年五月の記事に「三河国(愛知県)の人・外従五位下 物部敏久に、物部中原宿禰の姓を賜った」と載せる。敏久は明法学者で大判事であった。また弘仁格式の撰定に加わり、後に興原宿禰の姓を賜った。……(この部分は原文の行が崩れていて読み取れない) 中原宿禰は大和磯城彦の子孫で、十市県主家の十市首から出る(「トヲチ」の項を参照)。中原の諸系図や『本朝皇胤紹運録』などは安寧天皇の子孫とするが、記紀にないので取るに足りないだろう。「十市」の項で述べた。十市宿禰有象(『類聚符宣抄』第九)に至って中原姓を賜ったという。 中原氏系図に「外記局。本姓は十市宿禰。天延二年十二月、宿禰を改めて朝臣を賜る。安寧天皇の第三皇子・磯城津彦命の子孫である、云々。(従五位下、大宰少弐。『分脈』に「大宰○良少典、家系図はあるいはこれを載せない」とある)―春宗(少外記。『分脈』に「大外記、史博士」とある。また一本に「美濃介、史博士、少外記」とし、弟の良忠を収めて「本名は良佐、博士、主計頭、少外記、従五位上、天暦五年十月八日に没す、七十八歳」とする)」……(引用はここで途切れている)

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

中原ナカハラ遠江、加賀等に中原莊、下野に中原大原莊、その他、相摸、武蔵、上總、佐渡、美作、肥前、肥後等に此の地名存す。 1中原連十市氏の族か。拾芥抄等に見ゆ。五郡神社記に「十市御縣神社云々、鴨主(王)命·事代主神の長男也。亦云ふ天日方命、是れ中原連等祖也」とあれど、採るに足らざるべし。 2中原眞人天武帝の御裔にして、仁壽元年九月紀に「從五位下弘宗王、奏して、子男八人に、其の王號を改め、姓を中原眞人と賜らんと請ふ。之を許す」と載せ、また貞觀十六年二月紀に「左京人中原眞人正基に、姓を〓原眞人と賜ふ。其の先は舍人親王の後也」と見ゆ。 3(物部)中原宿禰物部氏の族にして、弘仁四年五月紀に「參河國人外從五位下物部敏久に、姓を物部中原宿禰と賜ふ」と載せたり。敏久は明法學者にして大判事たりき。又弘仁格式の撰定に與リ、後に興原宿國姓を賜ふ。令集解序に正正世古條參照又信十市氏の族か。……恐らく次項氏と關係あらん、共に明法學者なれば也。中原宿禰大和磯城彦の後裔、十市縣主家十市首より出づ(トヲチ條を見よ)。中原の諸系圖及び紹運錄等には、安寧帝裔となせど、記紀になければ、採るに足らざるか。十市條に云へり。十市宿禰有象(類聚符宣抄第九)に至りて、中原姓を賜ふと云ふ。中原氏系圖に「外記局、本姓十市宿禰、天延二年十二月、宿禰を改めて、朝臣を賜ふ。安寧帝第三皇子磯城津彥命の後也云々。(從五下、大宰少貳。分脈に『大宰勝良少典、家系圖·或は之を載せず』と)-春宗(少外記、分脈に『大外記、史博士』と。又一本に『美濃介、史博士、少外記』とし、弟良忠を收め『本名良佐、博士、主計頭、少外記、從五上、天曆五年十月八日卒、七十八歲。』

姓氏家系大辞典 第4巻 437コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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