三文字

栗原

くりはらKurihara

全国192位 ・ 約11万人

栗原(くりはら)は、『和名抄』の遠江国敷智郡に駅家郷があり、これは『延喜式』の栗原駅にあたるという。

1件の公開家系図に 1人

基本情報

読み
くりはら
ローマ字
Kurihara
全国順位
全国192位
推計人数
約11万人
全国比率
日本人のおよそ0.090%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

栗原をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Kurihara読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「栗原」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第2巻 524コマに「家紋萎井桁に三文字、丸に井桁」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 遠江国(静岡県)
  • 甲斐国(山梨県)
  • 下総国(千葉県・茨城県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

栗原(くりはら)は、『和名抄』の遠江国(静岡県)敷智郡に駅家郷があり、これは『延喜式』の栗原駅にあたるという。……(この部分は原文の行が崩れていて読み取れない。甲斐(山梨県)の栗原についての議論があり、著者は「拙著『甲斐』を見られたい」と記す) 次に下総国(千葉県・茨城県)匝瑳郡に栗原○があり、後世は香取郡に入る。また葛飾郡に栗原郷がある。次に常陸国(茨城県)筑波郡に栗原○(新治郡栗原村)がある。信太郡楯縫社の天文二十年の写経の記録に「田中荘栗原○長福寺、云々」とある。 次に美濃国(岐阜県)不破郡に栗原郷、陸奥国(東北地方)に栗原郡(久利波良)があり、栗原郷(陸前(宮城県・岩手県))もある。次に越後国(新潟県)頸城郡に栗原○があって「久里波良」と注記する。今は栗原村という。次に美作国(岡山県)真島郡、長門国(山口県)豊浦郡などにも栗原郷(久利八良)が見える。そのほか大和(奈良県)・武蔵(東京都・埼玉県)・下野(栃木県)・備後(広島県)などにもこの地名がある。 【1】栗原勝 ― 美濃国の中古の大族で、不破郡の栗原○から起こった。百済から移った一族だが、中臣氏族と称する。『続日本紀』天応元年七月の記事に、次のようにある。 「右京の人・正六位上 栗原勝子公が言うには、子公らの先祖の伊賀都臣は、中臣の遠祖・天御中主命の二十世の孫、意美佐夜麻の子である。伊賀都臣は神功皇后の御世に百済へ使いし、そのまま彼の地の女を娶って一男を生み、日本大臣と名づけた。大臣ははるかに本系をたずねて聖朝に帰した。そのとき美濃国不破郡栗原の地を賜って住まいとした。その後、住まいによって氏を定め、ついに栗原勝の姓を名乗った。伏して願わくは、中臣栗原連を賜りたい、と。そこで子公ら男女十八人に、願いのとおり改めてこれを賜った」。一本には柴原勝と書く。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

栗原クリハラ和名抄、遠江國敷智郡に驛家郷、こは延喜式の栗原驛に當るとぞ。……よりて議論多く、予輩にも管見あれど、關係薄すければ略す。拙著甲斐を見られたし。次に下總國匣瑳郡に栗原〓、後世香取郡に入る。また葛飾郡に栗原郷あり。次に常陸國筑波郡に栗原〓(新治郡栗原村)あり。信太郡楯縫社の天文二十年寫經數に「田中荘栗原〓長福寺云々」と。次に美濃國不破郡に栗原郷、陸奥國に栗原郡(久利波良)ありて栗原郷(陸前)も存す。次に越後國頸城郡に栗原〓あり、久里波良と註す、今栗原村と云ふ。次に美作國眞嶋郡、長門國豐浦郡等にも栗原郷(久利八良)見え。其の他、大和、武蔵、下野、備後等にも此の地名あり。 1栗原勝美濃國中古の大族にして、不破郡栗原〓より起る。百濟よリ移リし族なれど、中臣氏族と稱す。卽ち天應元年七月紀に「右京人正六位上栗原勝子公·言ふ、子公等の先祖·伊賀都臣は、是れ中臣の遠祖·天御中主命二十世の孫、意美佐夜麻の子也。伊賀都臣は、神功皇后の御世、百濟に使し、便ち彼の土女を娶り、一男を生み、日本大臣と名づく。大臣·遙かに本系を尋ね、聖朝に歸す。時に美農國不破郡栗原の地を賜ひ、以つて居とす場。厭の後、居によりて氏を命じ、違に栗原勝の姓を負ふ。伏して乞ふらくは中臣栗原連を掌り賜はんと。是に於いて、子公等男女十八人、請に依リ改め之を賜ふ」と見えたり。一本には柴原勝に作る。

姓氏家系大辞典 第2巻 523コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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