大森
おおもりOomori
全国196位 ・ 約11万人
大森(おおもり)は、尾張・駿河・伊豆・武蔵・下総・常陸・近江・磐城・岩代・陸前・陸中・陸奥・羽前・羽後・越前・越中・播磨などにこの地名がある。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- おおもり
- ローマ字
- Oomori
- 全国順位
- 全国196位
- 推計人数
- 約11万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.087%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
大森をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Oomori読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「大森」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
『姓氏家系大辞典』第2巻 92コマに「家紋二頭左巴、五七桐」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 尾張国(愛知県)
- 駿河国(静岡県)
- 伊豆国(静岡県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
大森(おおもり)は、尾張(愛知県)・駿河(静岡県)・伊豆(静岡県)・武蔵(東京都・埼玉県)・下総(千葉県・茨城県)・常陸(茨城県)・近江(滋賀県)・磐城(福島県・宮城県)・岩代(福島県)・陸前(宮城県・岩手県)・陸中(岩手県・秋田県)・陸奥(東北地方)・羽前(山形県)・羽後(秋田県)・越前(福井県)・越中(富山県)・播磨(兵庫県)などにこの地名がある。……(この項の引用は系図の途中から始まっており、書き出しが欠けている) 姉小路系図もほぼ同じで、ただ実頼の子を定頼(式部大夫)・実円・顕隆(式部大夫)とし、実頼の弟を藤頼(明応四年に小田原で没落)とし、その子を頼宗(奥二郎)・朝頼・頼冬(兵部少輔)とする。 この氏を藤原伊周の子・忠周(一本には忠親)の子孫などというのは、まったく信じがたい。伊周の子にそのような人はいないからである。思うに、同じく中関白の子孫といい、また大宰府と関係があるようで、しかも御室仁和寺にゆかりを持つのを見れば、九州の菊池・高木などの諸氏と同族ではないかと考えられる。なお考えるべきである。 『鎌倉大草紙』の応永の乱に「御前と憲基とは駿河国大森の館へ落ちられた」とある。これがこの氏の本拠である。次いで「大森式部大輔」、その後「大森安楽斎入道父子」などが見える。安楽斎は信濃守頼春で、その弟の安叟宗愕は相州(神奈川県)足柄郡久野村の総世寺の開山であり、それによって氏頼の寄進を受けた。また相模足柄郡の玉峰山長泉院は岩原城主・大森八郎実頼の開基である。岩原村古城略記に見える。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
大森オホモリ尾張、駿河、伊豆、武藏、下總、常陸、近江、磐城、岩代、陸前、陸中、陸奥、羽前、羽後、越前、越中、播磨等に此の地名あり。……姊小路系圖ほゞ同じく、唯·實賴の子を定賴(式部大夫)、實圓、顯隆(式部大夫)とし、實賴の第を藤賴(明應四年小田原沒落)とし、その子を賴宗(奥二郞)、朝賴賴冬(兵部少輔)とす。此の氏、伊周の子忠周(一本忠親)の後など云ふは全く信じ難し。伊周の子にかゝる人あらざればなり。蓋し同じく中關白の後と云ひ、又太宰府と關係ある如く、且つ御室仁和寺に、綠故を有するを見れば、九州の菊池、高木等の諸氏と同族ならんかと考へらる。猶ほ考ふべし。鎌倉大草紙、應永の亂、「御前と憲基とは駿河國大森が館に落給ふ」と。これ此の氏の本居也。次いで「大森式部大輔、」其の後、「大森安樂齋入道父子」等見ゆ。安樂齋は信濃守賴春にて、其の弟安叟宗愕は相州足柄郡久野村總世寺の開山、よりて氏賴の寄進を受く。又相摸足柄郡玉峰山長泉院は、岩原城主大森八郞實賴の開基なり、岩原村古城略記に見ゆ。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
大森と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
大森に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「大」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が大森の前後にある名字です。
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