三宅
みやけMiyake
全国195位 ・ 約11万人
三宅(みやけ)は、以上の項と同じく屯倉(みやけ)から起こったもので、古代から現代まで続く大族である。
1件の公開家系図に 1人
基本情報
- 読み
- みやけ
- ローマ字
- Miyake
- 全国順位
- 全国195位
- 推計人数
- 約11万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.088%
- 県内ベスト5
- 岡山県(2位)
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
多い都道府県
「三宅」が県内ベスト5に入っている都道府県です。色の濃さは県内の占率を表します(ベスト5に入らない県は、数字が公表されていないため無色です)。
- 〜1%
- 1〜1.5%
- 1.5〜2%
- 2〜3%
- 3%〜
- データなし
県ごとの数字を見る
| 都道府県 | 県内順位 | 占率 |
|---|---|---|
| 岡山県 | 2位 | 1.23% |
都道府県別データについて
都道府県別の順位・占率は、明治安田生命「全国同姓調査」(2018年8月8日発表、同社の契約者約655万人が母集団)で公表されたベスト5です。国勢調査ではないため、実際の県内人数の順位とは異なることがあります。 調査結果(PDF)を見る →
ローマ字で書くと
三宅をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Miyake読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「三宅」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
『姓氏家系大辞典』第6巻 133コマに「家紋·三つ巴、添収·菱、二重角、幕數·三ツ引兩、馬印·同ニ初代三…」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 大和国(奈良県)
- 伊勢国(三重県)
- 尾張国(愛知県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
三宅(みやけ)は、以上の項と同じく屯倉(みやけ)から起こったもので、古代から現代まで続く大族である。 地名としては、『和名抄』が大和国(奈良県)城下郡に三宅○を載せて「美也介」と読み、次に河内国(大阪府)丹比郡に三宅郷を載せて「三也介」と注記する。『河内志』に「廃三宅寺は丹北郡三宅村にある」とある。また交野郡にも三宅○があり、おそらく古の茨田屯倉かという。なお高安郡にも三宅○を載せる。 次に伊勢国(三重県)多気郡に三宅○があって「美也介」とある。次に尾張国(愛知県)海部郡に三宅郷が見える。『日本書紀』宣化元年の記事に尾張屯倉、安閑元年の記事に「尾張の間敷屯倉」などとあるのがこれかという。……次に遠江国(静岡県)○玉郡に三宅○を載せて「美也介」と読み、次に相模国(神奈川県)大住郡に三宅○、上総国(千葉県)天羽郡に三宅郷、下総国(千葉県・茨城県)海上郡と印幡郡に三宅郷、常陸国(茨城県)鹿島郡に三家○がある。 また筑前国(福岡県)那珂郡に三宅○が見えて「美也介」と注記し、次に筑後国(福岡県)上妻郡に三宅郷、豊後国(大分県)直入郡に三宅郷を二つ収める(ただし高山寺本は一つのみ)。肥後国(熊本県)託麻郡に三宅○、日向国(宮崎県)児湯郡に三宅○を載せる。荘としては摂津国(大阪府・兵庫県)島上郡、河内国高安郡、および若狭(遠敷郡)・伊豆(静岡県)などに見え、さらに近江(滋賀県)・美濃(岐阜県)・越前(福井県)・越後(三宅神社)・丹波(京都府・兵庫県)・但馬(兵庫県)・播磨(兵庫県)・備前(岡山県)などにこの地名がある。 【1】三宅史 ― 河内の古い豪族で、渡来系の一族。周の霊王の太子・晋の子孫と伝える。おそらく河内国の屯倉の職員だった氏だろうが、この国には屯倉の数が多いので、どの屯倉かは決めがたい。『姓氏録』河内諸蕃に「三宅史。山田宿禰と同祖。忠意の子孫である」と見える。 【2】周防(山口県)の三宅史 ― 前項と同族だろう。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
三宅ミヤケ以上と同樣、屯倉より起りしにて、古今に亘リ大族也。地名としては、和名抄、大和國城下郡に三宅〓を收め、美也介と訓じ、次に河內國丹比郡に三宅郷を收めて三也介と註し、河內志に「廢三宅寺は丹北郡三宅村に在リ」と。また交野郡にも三宅〓あり、蓋し古の茨田屯倉かと云ふ。なほ高安郡にも三宅〓を收む。次に伊勢國多氣郡に三宅〓ありて、美也介とあり。次に尾張國海部郡に三宅郷見ゆ、宣化元年紀に尾張屯倉、安閑元年紀に「尾張間敷屯倉」などある、これかと云ふ。……次に遠江國產玉郡に三宅編を收めて美也介と訓じ、次に相摸國大住郡に三宅〓、上總國天羽郡に三宅郷、下總國海上郡、及び印幡郡に三宅郷、常陸國鹿島郡に三家〓、又筑前國郡珂郡に三宅瘤·見えて、美也介と註し、次に筑後國上妻郡に三宅郷、豐後國直入郡に三宅郷二つを收む、但し高山寺には一のみ。肥後國託麻郡に三宅擲、日向國兒湯郡に三宅〓を收む。庄としては攝津國島上郡、河内國高安郡、及び若狹(遠敷郡)、伊豆等に見え、猶ほ近江、美濃、越前、越後(三宅神社)、丹波、但馬、播磨、備前等に此の地名存す。 1三宅史河内の古豪、漢族にして、周靈王の太子晋の後也と傳ふ。蓋し當國屯倉の職員たりし氏たりしならんも、此の國には屯倉の數多ければ、何屯倉と定め離し。姓氏錐、河内諸蕃に「三宅史。山田宿禰と同祖。忠意の後也」と見ゆ。 2周防の三宅史前項と同族ならん。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
この名字の人々
同じ読みの名字
三宅と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
三宅に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「三」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が三宅の前後にある名字です。
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