木瓜

松永

まつながMatsunaga

全国201位 ・ 約11万人

松永(まつなが)は、若狭・○前に松永庄、そのほか備後・伊勢などにこの地名がある。

1件の公開家系図に 2人

基本情報

読み
まつなが
ローマ字
Matsunaga
全国順位
全国201位
推計人数
約11万人
全国比率
日本人のおよそ0.085%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

松永をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Matsunaga読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「松永」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第5巻 554コマに「家紋丸に横木瓜、葛7大和の松永氏戰國時代の大族にして藤原姓と傳ふ」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 若狭国(福井県)
  • 備後国(広島県)
  • 加賀国(石川県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

松永(まつなが)は、若狭(福井県)・○前に松永庄、そのほか備後(広島県)・伊勢(三重県)などにこの地名がある。 ……(中略)【2】加賀(石川県)の松永氏 ― 加賀国の豪族で、『○怪記』に「松永らを追い出し、加賀一国を退けて治めた」とある。また松永丹波などが名高い。 【3】遠江(静岡県)の松永氏 ― 佐野郡の名族で、永禄六年十月十九日、松永大夫が今川氏から海道七か国の陰陽博士惣別当である旨の裁許を受けた。子孫は博士小大夫と称する。 【4】美濃(岐阜県)・尾張(愛知県)の松永氏 ― 愛知郡の名族である。また美濃に多い。 【5】伊勢の松永氏 ― 桑名郡の松永邑から起こった。関長門守の侍帳に「百五十石 松永市左衛門」を載せる。 【6】藤原姓 ― 三河(愛知県)の名族で、松平○康の家臣に松永平左衛門がある。その子の源蔵は家康に仕えた。その子「源蔵勝正―太郎右衛門重正(家康の臣、百五十石)」などが『寛政系譜』に見える。 ……(中略)その発祥地ははっきりしない。もと西国の○人として有名な松永久秀は、三好氏に仕えてしだいに身を起こしたという。一族は『細川両家記』に「天文二十一年九月、松永兄弟が大将として丹波(京都府・兵庫県)へ出陣、云々。内藤備前守と池田・堀内を討ち取る。このとき内藤方の城である丹波八木が難儀していたところ、松永甚助は内藤備前守の婿だったので、この八木城へ駆け入った」などと載せ、また甚助入道蓬雲軒と見える。また永禄六年の諸役人付に「外様詰衆・松永国松」を挙げている。 久秀は三好長慶の家宰であったが、永禄二年六月に大和(奈良県)へ入って信貴山城に拠り、筒井・小田切・十市・小泉らと戦ってしばしば勝ち、麾下の将である古市・菅田・高山・岡・逢坂らを率いて十九年にわたり威を振るったが、筒井氏に滅ぼされた。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

松永マツナガ若狹、國前に松永庄、その他備後、伊勢等に此の地名あり。……2加賀の松永氏當國の豪族にして、富怪記に「松永等を追出し、加賀一國を退、治す」と。又松永丹波等名高し。 3遠江の松永氏佐野郡の名族にして、永祿六年十月十九日、松永大夫·今川氏よリ海道七ヶ國陰陽博士惣別當たる旨の裁許を受く、後裔·博士小大夫と稱す。 4濃尾の松永氏愛知郡の名族也、又美濃に多し。 5伊勢の松永氏桑名郡松永邑より起る。關長門守侍帳に「百五十石松永市左衞門」を載せたり。 6藤原姓三河の名族にして、松平〓康家臣に松永平左衞門あり、その男源藏は(家康に仕ふ)。その男「源藏勝正-太郞右衞門重正(家康臣、百五十石)」等寬政系譜に見ゆ。……その發祥地詳かならず。もと西國の買人に有名なる松永久秀は、て、三好氏に奉仕し、次第に身を起せりと云ふ。一族は細川兩家記に「天文二十一年九月、松永兄弟·大將にて丹州出陣云々、内藤備前守と池田、堀内を討取る。此の時、内藤方の城·丹波八木難儀に候所、松永甚助は内藤備前守聟なりければ、此の八木城へ懸入る」など載せ、また甚助入道蓬雲軒と見ゆ。又永藤六年諸役人付に「外樣詰衆·松永國松」を擧げたり。久秀は三好長慶の家宰なりしが、永祿二年六月、大和に入り、信貴山城に據り、筒井、小田切、十市、小泉等と戰ひ類に克ち、麾下の將·古市、菅田、高山、岡、逢坂等を率ゐ、感を奮ふ事十九年にして筒井氏に亡ぼさる。

姓氏家系大辞典 第5巻 554コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

この名字の人々

同じ読みの名字

松永と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

松永に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が松永の前後にある名字です。

存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →