下り藤

関口

せきぐちSekiguchi

全国205位 ・ 約10万人

関口(せきぐち)は、三河・甲斐・武蔵・上野・羽後などにこの地名があり、これらから起こったもので、その系統は少なくない。

2件の公開家系図に 1人

基本情報

読み
せきぐち
ローマ字
Sekiguchi
全国順位
全国205位
推計人数
約10万人
全国比率
日本人のおよそ0.085%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

関口をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Sekiguchi読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「関口」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第3巻 439コマに「家紋下リ藤」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 甲斐国(山梨県)
  • 武蔵国(東京都・埼玉県)
  • 羽後国(秋田県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

関口(せきぐち)は、三河(愛知県)・甲斐(山梨県)・武蔵(東京都・埼玉県)・上野(群馬県)・羽後(秋田県)などにこの地名があり、これらから起こったもので、その系統は少なくない。 ……(この部分は原文の行が崩れていて読み取れない)……という人がいたといい、その家には小田原北条家から出された文書二通が伝わる。儒者の関口金水も生麦の人である。また賀美郡八町河原村の稲荷社の宮守に関口氏がある。 また秩父郡にも多く、山田村には関口屋敷の跡があって、小名の西新木天神林にある。康永のころ、関口丹後守が住んでいた所だという。東西一町ばかり、南北一町余りで、東南は畑、西に横瀬川、北に大棚川をめぐらした所である。また同郡皆谷村の人・関口玄英は医を業とし、先祖を関口帯刀助という。上州群馬庄板井城主・山田伊賀守氏直の妹を妻とした。帯刀助は松山城主の上田家に仕えたといい、文書二通を蔵すると見える。また同郡の神職にもこの氏があり、豊島郡・足立郡(家紋は下り藤)・埼玉郡などにも少なくない。なお前後の二項を参照。第十一項も参照。 【4】秀郷流藤原姓佐野氏流 ― 上野国の関口邑から起こった。佐野系図に「吉水太郎国綱―左衛門尉実継―時綱(関口三郎、上野国関口の住人)」とある。皆川家の家臣にこの氏があり、この流れだろうか。永享年中、関口保はその主君に殉じた。また永○のころ関口但馬守があり、長沼信鑑斎に仕えた。「サノ」の項を参照。 【5】『御府内備考』に「浅草区西仲町の旧家・関口吉左衛門。その祖は本国下野の佐野領で関口大学之助と申した。武州浅草寺の境内に住居いたしたよし。同人の長男・久左衛門は寛永三年四月二十二日、浅草寺領百石の分の代官を申し付けられておりましたよし。その後、右の久左衛門の長男・久左衛門と、東仲町名主・稲垣喜平次の先祖である庄左衛門との両人が願い出て、右の仲町がまだ中畑と申した時分に同村を開墾いたしましたので、寛永十三年中、両人ともあらためて名主役を申し付けられました。右の久左衛門の弟・長兵衛は駒形町に別家いたし、これもまた同所の名主役を勤めております、云々」とあるのも、この流れだろうか。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

關口セキグチ三河、甲斐、武藏、上野、羽後等に此の地名あり。此等より起りしにて、その流派診らず。彦三郎滿興府島大甫回答守直幸長澤關岡蘭神兵衞などいひし人ありと云ひ、家に小田原北條家より出せし文書二通を藏す。儒者金水も生麥の人也。又賀美郡八町河原村稻荷社の宮守に関口氏あり。又秩父郡にも多く、山田村には關口屋敷跡あり、小名西新木天神林に存す。曆廳康永の頃、關口丹後守が居住せし所なりと。東四一町許、南北一町餘、東南は畑にて、西に横瀨川、北に大棚川を構へし處なり。又同郡皆谷村の人關口玄英に醫を業とし、先祖を關口帶刀助と云ふ。上州群馬庄板井城主山田伊賀守氏直が妹を妻とす。帶刀助は、松山城主上田家に仕へしよし、文書二通を藏せりと見ゆ。又同郡神職にも此の氏存し、又豐島郡、足立郡(家紋下リ藤)、埼玉郡等にも尠からず。猶ほ前後二條參照。又第十一項見よ。 4秀〓流藤原性佐野氏流上野國關口邑より起る。佐野系圖に「吉水太郞國綱-左衞門尉實繼-時綱(関口三郞、上野國關口の住人)」とあり皆川家々臣に此の氏あり、此の流か。永享中、關口保·その主に殉ず。又永樣の頃.關口但馬守あり長沼信鑑齋に仕ふ。あり、サノ條を見よ。 5又御府内備号に「淺草區西仲町舊家關口吉左衞門ニ祖本國下野佐野領にて關口大學之助と申す。武州淺草寺境内に住居仕リ候由、同人長男久左衞門儀、寛永三寅年四月廿二日、淺草寺領百石の分、代官申付けられ罷り在り候由、其の後、右久左衞門の長男久左奮門、井に東伸町名主稻垣喜平次の先祖庄左衞門と兩人にて願の上、右仲町未だ中畑と申し餘節、同村開穗仕り候に付、實永十三子年中、兩人共改めて名主役に申付られ候右久左衛門の第長兵衛儀は駒形町に別家仕り、是れまた同所名主役相勤め罷リ在リ候云々」とあるも此の流か。

姓氏家系大辞典 第3巻 439コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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