溝口
みぞぐちMizoguchi
全国424位 ・ 約4.8万人
溝口(みぞぐち)は、越前に溝口庄、そのほか尾張・武蔵・常陸・伯耆・筑後などにこの地名がある。
1件の公開家系図に 1人
基本情報
- 読み
- みぞぐち
- ローマ字
- Mizoguchi
- 全国順位
- 全国424位
- 推計人数
- 約4.8万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.039%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
溝口をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Mizoguchi読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「溝口」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
『姓氏家系大辞典』第6巻 63コマに「家紋搔摺菱、菱井桁」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 越前国(福井県)
- 尾張国(愛知県)
- 武蔵国(東京都・埼玉県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
溝口(みぞぐち)は、越前(福井県)に溝口庄、そのほか尾張(愛知県)・武蔵(東京都・埼玉県)・常陸(茨城県)・伯耆(鳥取県)・筑後(福岡県)などにこの地名がある。 【1】少弐氏族 ― 筑後国下妻郡の溝口邑から起こった。『太平記』巻三十三に溝口丹後守があり、一本に丹波守、金勝院本には名を能元とする。また近藤家の建武四年八月文書に溝口太郎入道、また善導寺の鐘銘に「山門郡瀬高下庄 長勝律寺大檀郡 溝口藤原親○、応永二十三年、云々」とある。これらもこの一族か。……(中略) 前項のほか、大永三年の大名○(小野村内宮の棟木)に溝口殿、『大友記』に「大友○本の大名、筑後国溝口」とある。また領主付に「溝口常陸介(中関白の末、また一説に蒲池家来)。下妻の小田城(一説に溝口城)に居り、五町(五百丁)を領す」と載せ、また「溝口弥十郎(酒井田)五町を領す」というものもある。……(中略) 城は村の南辺にある。伝えていうには「溝口宗○の常居の館である。時代は詳らかでない」と。『太平記』に延文四年、宮方に溝口丹後守能元とある。城重岑寄進状に「文亀元年五月二十日、溝口資○が肥後袈裟尾で戦死」と載せる。『豊西記』に「大永三年に溝口遠江守」とあるのは、大友義鎮状に丹後守とある人だろう。『誌略』に「大永年中、溝口刑部がある。溝口村の人である」とある。 また『蒲池物語』に「大永五年、溝口刑部が川崎右京亮と心を合わせ、溝口に城を構えて楯籠った。二月十二日、大友の先陣千七百余人が溝口の城を囲んだ」などとあるという。また「小田村の城跡。明応・文亀のころ、溝口常陸介・同帯刀がこれを守る」なども見える。 【3】豊前(福岡県・大分県)の溝口氏 ― 宇佐郡の豪族で、天文・永禄のころ溝口左近将監がある。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
溝口ミソグチ越前に溝口庄、其他、尾張武蔵、常陸、伯耆、筑後等に此の地名存す。 1少貳氏族貳後國下妻郡の溝口邑より起る。太平記卷三十三に溝口丹後守あり、一本に丹波守、金勝院本には名を能元とす。又近藤建武四年八月文書に溝口太郞入道、又善導寺鐘銘に「山門郡瀨高下庄埋長勝律寺大檀郡溝口藤原親賣、應永廿三年云々」と0此等も此の族か。……前項の外、大永三年の大名業(小野村内宮棟木)に溝口殿、大友記に「大友熊本の大名、筑後國溝口」と。又領主附に「溝口常陸介(中關白末、又一に蒲池家來)·下妻小田城(一に溝口城)に居り、五町(五百丁)を領す」と載せ、又「溝口彌十郞(酒井田)五町を領す」と云ふもあり。……城は村の南邊にあり。傳へ云ふ「溝口宗〓·常居の舘也。時代詳ならず」と。太平記、延文四年、宮方に溝口丹後守能元、城重岑寄進狀に「文亀元年五月廿日、溝口資〓·肥後袈裟尾にて戰死」と載せ、豐西記「大永三年に溝口遠江守」と大友義鎭狀に丹後守とある人なるべし。誌略に「大永年中、溝口刑部あり、溝口村の人なリ」と。又蒲池物語に「大永五年、溝口刑部、川崎右京亮と心を合せ、溝口に域を構へて楯籠る。二月十二日、大友先陣千七百餘人·溝口の城を圍む」などあり』とぞ。又「小田村城跡·明應文龜の頃、溝口常陸介、同帶刀·之を守る」なども見ゆ。 3豐前の溝口氏字佐郡の豪族にして、天文永祿の頃、溝口左近將監あり。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
この名字の人々
同じ漢字を使う名字
溝口に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「溝」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が溝口の前後にある名字です。
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