篠崎
しのざきShinozaki
全国423位 ・ 約4.9万人
篠崎(しのざき)は、河内・武蔵・常陸・豊後などにこの地名がある。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- しのざき
- ローマ字
- Shinozaki
- 全国順位
- 全国423位
- 推計人数
- 約4.9万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.040%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
篠崎をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Shinozaki読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「篠崎」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
沢瀉
矢尻の形をしたオモダカの葉に、花を立てた図案。
『姓氏家系大辞典』第3巻 257コマに「家紋花無抱澤瀉」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 河内国(大阪府)
- 武蔵国(東京都・埼玉県)
- 豊後国(大分県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
篠崎(しのざき)は、河内(大阪府)・武蔵(東京都・埼玉県)・常陸(茨城県)・豊後(大分県)などにこの地名がある。 【1】三河(愛知県) ― 伴姓で、設楽資氏の子孫だという。 【2】信太氏族 ― 常陸の名族である。「シダ」の項を参照。(このあたりは原文の行が乱れ、別の見出し「シノノキ」などの断片が混じる)『新編国志』に「篠崎。もとは信太を称した。……筑波郡篠崎村から出た」と見える。また江戸幕臣にあって『寛政系譜』に載せる。家紋は花○抱き沢瀉。藤原姓と称する。 【3】桓武平氏城氏族 ― 越後奥山氏の一族といい、『中興系図』に「篠崎。平姓、城氏の余流。紋は左三巴」と見える。江戸の儒者・篠崎東海(維章)は平氏というが、この流れか。 【4】秀郷流藤原姓足利氏族 ― 藤岡八郎房重○、篠山丹後秀政の子・秀国を篠崎三郎四郎秀国という。その子は「篠崎左近亮秀信―大膳大夫秀次―大膳秀忠」であるという。 【5】橘姓楠木氏流 ― 南朝の忠臣で、楠木氏の一族と称する。篠崎掃部助は正成に従い、湊川で討死した。その子・六郎左衛門は楠正儀に属し、文和二年六月の京都攻撃に加わったが、後に出家した。石川郡千早村の猫路城は篠崎六郎の居城と伝える。子孫は交野郡楠葉(樟葉)邑の名族である。 また『新編常陸国志』に「篠崎。河内国の篠崎から起こった。楠氏の一族である。『三人懺悔草紙』に『楠正成の一族・篠崎掃部助、その子・二郎左衛門』のことがある。佐竹家士系図に『篠崎掃部左衛門、云々』とある。掃部と称するのは、祖先の官名を受けたものと見える」とある。 【6】摂津(大阪府・兵庫県)の篠崎氏 ― 西成郡の名族で、三島篠崎応道はもと伊予(愛媛県)の人だという。次に小竹は本姓を加藤氏といい、篠崎三島の養子となった。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
篠崎シノザキ河内、武藏、常陸、豐後等に此の地名存す。 1'三河伴姓設樂資氏の後なりと云ふ。 2信太氏族常陸の名族也。シダ條參照新編國志に「篠崎。もとは信太を稱す。シノノキ信濃、下野等に越前に此の地名あり。サ武藏、常陸、豐後筑波郡篠崎村より出たり」と見ゆ。又江戶幕臣にありて、寬政系語に載せたり。家紋花無抱澤瀉。藤原姓と稱す。 3桓武平氏城氏族越後奥山氏の族なりと中興系圖に「篠崎。平姓、城氏余流。モン左三巴」と見ゆ。江戶の儒者篠崎東海(維章)は平氏と云ふ、此の流か。 4秀〓流藤原姓足利氏族藤岡八郞房重〇篠山丹後秀政の子秀國·篠崎三郞四郞秀國と云ふ。その子「篠崎左近亮秀信-大膳大夫秀次-大膳秀忠」なりと。 5橘姓楠木氏流南朝の忠臣にして、楠木氏の族と稱す。篠崎掃部助は正成に從ひ、湊川に討死せり。其の子六郞左衞門は楠正儀に屬し、文和二年六月の京都攻擊に加はりしが後出家す。石川郡千早村猫路城は篠崎六郞の居城と傳ふ。子孫交野郡楠葉(樟葉)邑の名族たり。又新編常陸國志に「篠崎。河内國篠崎よリ起る。楠氏の族なり。三人懺悔草紙に『楠正成の族·篠崎掃部助、其の子二郞左衞門』の事あり。佐竹家士系圖に『篠崎掃部左衞門、云々』とあり。掃部と稱せるもの、祖先の官名を受けしものと見ゆ」とあり。 6攝津の篠崎氏西成郡の名族にして、三島篠崎應道は、もと伊豫の人なりと。次に小竹は、本姓加藤氏、篠崎三島の養子となる。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ漢字を使う名字
篠崎に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「篠」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が篠崎の前後にある名字です。
存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →
