野崎

のざきNozaki

全国316位 ・ 約7.0万人

野崎(のさき/のざき)は、河内・下野・紀伊・肥前・大隅などにこの地名がある。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
のざき
ローマ字
Nozaki
全国順位
全国316位
推計人数
約7.0万人
全国比率
日本人のおよそ0.057%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

野崎をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Nozaki読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 河内国(大阪府)
  • 紀伊国(和歌山県)
  • 肥前国(佐賀県・長崎県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

野崎(のさき/のざき)は、河内(大阪府)・下野(栃木県)・紀伊(和歌山県)・肥前(佐賀県・長崎県)・大隅(鹿児島県)などにこの地名がある。 【1】桓武平氏野与党 ― 武蔵(東京都・埼玉県)の豪族で、七党系図に「八条左衛門光平―渋江二郎左衛門光茂―光員(野崎兵衛尉)」と載せる。「岩崎」の項および「野○」の項を参照。豊島郡下渋谷邑の名族で、また埼玉郡や橘樹郡小向邑などにもこの氏が見える。 【2】甲斐(山梨県)の野崎氏 ― 上野原七騎の一つで、富田・安藤・中島・上条・石井・市川などの諸氏とともに名族である。また甲斐の儒者に野崎藤橋がある。 【3】河内の野崎氏 ― 讃良郡の野崎邑から起こった。『長禄寛正記』に「高柳 野崎与五郎」を載せ、また永禄二年の交野郡郷士連名帳に「藤坂村 野崎藤左衛門尉了澄」が見える。 【4】肝付氏族 ― 大隅の名族で、三雁金を家紋とする。肝付系図に「四代河内守兼員の三男・兼広が野崎の地を領して氏とした」とある。 【5】薩摩(鹿児島県)・大隅・日向(宮崎県)の野崎氏 ― 前項を参照。そのほか『日向記』に野崎惣五郎、また近世では鹿児島藩士に野崎貞澄(将軍)があり、功によって○を賜った。 【6】雑載 ― そのほか久留米藩に野崎氏があり、高橋氏の血を受けて懐良親王の子孫と伝えられる(『将士軍談』)。また堀尾山城守の給帳に「二百石 野崎雁蔵、二百石 野崎喜蔵、百石 同庄八」などが見え、加賀藩(石川県)の給帳に「二百石(丸の内三の字)野崎孫六」がある。 また香宗我部家の家臣に野崎五郎左衛門、越後彌彦社上条の神官に野崎氏が見える。また大和十津川郷の役職の由緒書に河津村の野崎源十郎、河津村庄屋の野崎長次平を載せる。幕末の勤王の士に野崎主計があり、天誅組に入って死んだ。正五位を贈られた。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

野崎ノサキノザキ河内、下野、紀伊、肥前、大隅等に此の地名あり。 1榎武平氏野與黨武藏の豪族にして、七黨系圖に「八條左衞門光平-澁江二郞左衞門光茂-光員(野崎兵衞尉)」と載せたり、岩崎條五二〇頁、及び野臭條參照。豐島郡下澁谷邑の名族、又埼玉郡、又橘樹郡小向邑等に此の氏見ゆ。 2甲斐の野崎氏上野原七騎の一にして、富田、安藤、中島、上條、石井、市川等の諸氏と共に名族たり。又當國儒者に野崎藤橋あり。 3河内の野崎氏讚良郡の野崎邑より起증0長蘇寛正記に「高柳野崎與五郞」を載せ、又永祿二年交野郡郷士連名帳に「藤坂村野崎藤左衞門尉了澄」見ゆ。 4肝付氏族大隅の名族にして、三雁金を家紋とす。肝付系圖に「四代河内守兼員の三男兼廣·野崎の地を領して氏とす」とあり。 5薩隅日の野崎氏前項參照。その他、日向記に野崎惣五郞、また近き世、鹿兒島藩士に野崎貞澄(將軍)あり、功を以つて里雷を賜ふ。 6雜藏その他、久言米藩に野崎氏あり、高橋氏の血を受けしにて、懷良親王の後胤と傳へらる(將士軍請)。又堺尾山城守給帳に「二百石野崎雁藏、二百石野崎喜藏、百石同庄八」等見え、又加賀藩給帳に「二百石(丸内三ノ字)野崎孫六」あり、又香宗我部家臣に野崎五郞左衞門、越後彌彦社上條の神官に野崎氏·見ゆ。又大和十津川〓鎗役由緒書に河津村野崎源十郞、また河津村庄屋野崎長次平を載せ、幕末動王の士に野崎主計あり、天誅組に入り死す、贈正五位也。

姓氏家系大辞典 第5巻 28コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ読みの名字

野崎と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

野崎に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

「野崎」で始まる・野崎を含む名字

野崎の字をそのまま含む、より長い名字です。

同じくらいの多さの名字

全国順位が野崎の前後にある名字です。

存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →