三文字

河野

こうのKouno

ほかの読み: かわの

全国92位 ・ 約20万人

河野(こうの/かわの)は、伊予国第一の大族で、同国風早郡の河野○から起こった。

4件の公開家系図に 5人

基本情報

読み
こうの ・ かわの
ローマ字
Kouno
全国順位
全国92位
推計人数
約20万人
全国比率
日本人のおよそ0.16%
県内ベスト5
大分県(3位)、宮崎県(4位)
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

多い都道府県

「河野」が県内ベスト5に入っている都道府県です。色の濃さは県内の占率を表します(ベスト5に入らない県は、数字が公表されていないため無色です)。

北海道青森岩手宮城秋田山形福島茨城栃木群馬埼玉千葉東京神奈川新潟富山石川福井山梨長野岐阜静岡愛知三重滋賀京都大阪兵庫奈良和歌山鳥取島根岡山広島山口徳島香川愛媛高知福岡佐賀長崎熊本大分宮崎鹿児島沖縄
  • 〜1%
  • 1〜1.5%
  • 1.5〜2%
  • 2〜3%
  • 3%〜
  • データなし
県ごとの数字を見る
都道府県県内順位占率
大分県3位1.48%
宮崎県4位1.1%
都道府県別データについて

都道府県別の順位・占率は、明治安田生命「全国同姓調査」(2018年8月8日発表、同社の契約者約655万人が母集団)で公表されたベスト5です。国勢調査ではないため、実際の県内人数の順位とは異なることがあります。 調査結果(PDF)を見る →

ローマ字で書くと

河野をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

「こうの」と読む場合

Kouno読みをそのまま写した形

「かわの」と読む場合

Kawano読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「河野」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第2巻 125コマに「紋は角折敷に正三文字、折數緣有り、五納懸」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 伊予国(愛媛県)
  • 美濃国(岐阜県)
  • 信濃国(長野県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

河野(こうの/かわの)は、伊予国(愛媛県)第一の大族で、同国風早郡の河野○から起こった。この○は『和名抄』が「加波乃」と読む。その一族は大いに栄えて諸国に広がったが、別系統もある。また美濃(岐阜県)・信濃(長野県)・越前(福井県)などにこの地名がある。 【1】伊予凡直姓(越智姓と称する) ― 河野氏は孝霊天皇の子孫と称し、また越智姓とも称するが、いずれも誤りであることは「伊予」「伊予凡」「浮穴」「越智」などの項で述べた。実際は伊予国造の子孫である伊予凡直姓で、浮穴氏から出たこともそれらの項で説明した。河野氏が同国伊予郡の伊予豆比子命神社を祖廟とするのは、まったくここに基づくものである。 このように河野氏は越智姓ではなく、また孝霊天皇の子孫でもない。神武天皇の皇子・神八井耳命の子孫であり、伊予国造の後なので、『予章記』や越智系図・河野系図などの最初の部分は、みな後世のこじつけであって信じるに足りない。それらのことはすでに前の各項で述べたので、ここでは直接に河野氏を出した浮穴為世から説くことにする。 為世は伊予郡大領・玉興の弟である玉澄の十五世の孫で、河野新大夫親経より五代前にあたる。越智・河野その他の浮穴系統の諸系図が、この為世を嵯峨天皇の皇子とか伊予親王の子などというのは信じがたいが、親経より五代前の人にすぎないので実在の人物であり、系図はこのあたりから確実性を多く帯びるといえよう。世代の数から計れば、この人は平安中期の人だろう。次に為世の子・為時は浮穴四郎大夫、その子の時孝は浮穴新大夫と見える。いずれも浮穴郡にいたので、浮穴氏族の祖である。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

河野カウノカハノ伊豫國第一の大族にして、同國風早郡河野〓より起る。當〓は和名抄加波乃と訓ず。その族大いに榮えて諸國に蔓りたれど、猶ほ異流もあり、又美濃、信濃、越前等に此の地名あり。 1伊豫凡直姓(稱越智姓)河野氏は孝靈天皇の後裔と稱し、又越智姓と稱すれど、共に非なる事は伊豫、伊豫凡、浮穴、越智等の條に云へリ。而して其の實、伊豫國遺の後裔なる伊豫凡直姓にして、浮穴氏より出づる事も、其れ等の條にて說けリ。河野氏が同國伊豫郡伊豫豆比子命神社を祖廟とするは全く此處に基くものとす。斯くの如く河野氏は越智姓にあらず、又孝靈天皇の後裔にもあらず、神武天皇の皇子神八井耳命の後にして、伊豫國造の後なれば、豫章記、越智系圖、河野系圓等の最初の部分は皆後世の附會にして信ずべきにあらず。且つ其れ等の事は既に前述各條に述べたれば、此處には直接河野氏を出せし浮穴爲世よリ說くべし。爲世は伊豫郡大領玉興の弟玉澄十五世孫にして、河野新大夫親經より五代前に當る。越智、河野、その他浮穴系統の諸系圖が、此の爲世を或は變峨天皇の皇子、或は伊豫親王の御子など云ふは信じ難けれど、親經より五代前の人に過ぎざれば、實在の人にして、系圖は此の邊より確實性を多く帶ぶと云ふを得ん。而して世數より計れば此の人は平安中期の人たるべし。次に爲世の子爲時は浮穴四郞大夫、その子時孝は浮穴新大夫と見ゆ。何れも浮穴郡にありしにて、浮穴氏族の祖たり。

姓氏家系大辞典 第2巻 123コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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