松井
まついMatsui
全国90位 ・ 約20万人
松井は、山城・相模・○磨などに松井○、出雲などにこの地名がある。
1件の公開家系図に 1人
基本情報
- 読み
- まつい
- ローマ字
- Matsui
- 全国順位
- 全国90位
- 推計人数
- 約20万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.16%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
松井をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Matsui読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「松井」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
『姓氏家系大辞典』第5巻 518コマに「家紋四つ目結、猶ほ丸の內に山に竹、梅鉢のものあり」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 山城国(京都府)
- 相模国(神奈川県)
- 肥後国(熊本県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
松井は、山城(京都府)・相模(神奈川県)・○磨などに松井○、出雲(島根県)などにこの地名がある。 【1】松井連 ― 山城の古い一族である。葛野○に松井寺(松○院)があり、また『続日本紀』に「○喜郡松井村」などと見えるので、それらから起こったのだろうか。百済系の一族で、『続日本紀』天平宝字五年三月の記事に「戸清道ら四人に、はじめて松井連の姓を賜った」とあるのがその出典である。また神護景雲元年の記事に松井連浄山という者が見える。 【2】山城の松井氏 ― 前後の各項を参照。武家時代に栄えた松井氏は葛野郡の松井から起こった。淳和院のあった地で、院は松井寺ともいった。『日本紀略』に「延喜八年、光孝天皇の第一源氏・綾子が亡くなった。松院君と号された」と載せ、また朱雀上皇が松院に行幸されたなどという松院も、この地にほかならない。 下って『平家物語』に松井肥後、『源平盛衰記』に荒大夫松井肥後などと見え、また『太平記』巻三に「山城国の住人・深須入道と松井蔵人の二人は、このあたりの案内者であったので、山々・谷々を残らず捜したところ、皇居は隠れもなく、尋ね出されなさった」などとあるのは、綴喜郡の松井邑から起こったもののようである。また近江(滋賀県)○賀郡坂本村の古鐘銘に「山城国松井○成願寺、文保三年云々」と載せる。……(この先は原文の行が崩れ、次の項「坊本(ぼうもと)」などの記事が入り混じっている)『和名抄』の三河国(愛知県)額田郡に麻津間○があり、武蔵(東京都・埼玉県)・摂津(大阪府・兵庫県)などにもこの氏がある。坊本朝臣は『拾芥抄』に見え、備前(岡山県)・播磨(兵庫県)などにあるという。「マツア」は室町幕府の同朋衆にある。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
松井マンチ山城、相摸、掃磨等に松井生、そ出雲等に地名存す1松井連山城の古族也葛野証に松井寺(松院)あり、又續日本記に一級喜郡松井村」など見ゆれば、それ等より起れるか。百濟族にして、天平實字五年三月紀に「戶清道等四人に、始を松井連と賜ふ」とあるより出づ。又神護景雲元年紀に松井運淨山なる者見ゆ。 2山城の松井氏前後各條參照。武家時代、盛族たりし松井氏は葛野郡松井より起る。淳和院のありし地にして、院は松井寺とも云へり。日本紀略に「延喜八年、光孝天皇第一源氏綾子卒す、松院君と號し給ふ」と載せ、又朱雀上皇·松院に幸し給ふなど云ふ松院も、此の地に外ならず。下つて平家物語に松井麗後、源平盛衰記に荒大夫松井肥後など見え、又太平記卷三に「山城國の住人深須入道、松井藏人二人は、此の邊の案内者なりければ、山々條々、殘る所なく搜しける間、皇居隱れなく、尋ね出されさせ給ふ」などあるは、綴喜郡の松井邑より起りしが如し。又近江遞賀郡坂本村古鐘銘に「山城國松井〓成願寺、文保三年云々」と載せ、意堀和名抄、三河國額田郡に麻津間武蔵、攝津等に此の氏あ坊本マチモトバウモト坊本朝臣拾芥抄に見ゆ。マチモト備前、播磨等に存すとぞ。マツアマンチ室町幕府の同朋にあり。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
この名字の人々
同じ読みの名字
松井と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
松井に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「松」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が松井の前後にある名字です。
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