野村
のむらNomura
全国96位 ・ 約18万人
野村(のむら)は、近江国浅井郡に野村庄があり、そのほか美濃・越後・安芸・紀伊・伊予などにこの地名がある。
1件の公開家系図に 1人
基本情報
- 読み
- のむら
- ローマ字
- Nomura
- 全国順位
- 全国96位
- 推計人数
- 約18万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.15%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
野村をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Nomura読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「野村」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
『姓氏家系大辞典』第5巻 44コマに「家紋揚羽蝶、九曜」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 近江国(滋賀県)
- 美濃国(岐阜県)
- 越後国(新潟県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
野村(のむら)は、近江国(滋賀県)浅井郡に野村庄があり、そのほか美濃(岐阜県)・越後(新潟県)・安芸(広島県)・紀伊(和歌山県)・伊予(愛媛県)などにこの地名がある。 【1】佐々木氏族 ― 近江国浅井郡の野村庄から起こった。『佐々木系図』に「(加地)三郎左兵衛尉盛綱の二男・盛季(左衛門尉。鳥坂城の合戦で一番に陣を駆けて傷を負い、建仁の○堂衆合戦のときには忠戦して数か所の傷を負って死んだ。江州野村庄の領主)」と載せる。『尊卑分脈』は盛季を右門尉盛則とし、同様の記事を載せる。また正応の奥書のある『佐々木系図』には「盛秀(三郎左衛門尉)」と見える。 浅羽本には「盛季、左衛門尉。鳥坂の合戦で一番に陣を駆けて傷を負い、建仁の○堂衆合戦のときには忠戦して数か所の傷を負って死んだ。江州野村庄の領主。子孫は末にある」として、次の系図を載せる。「盛季(盛綱の二男、野村小三郎、左衛門尉)―盛蓮(山徒で四郎房と号する。近江国白藤郷と野村○を知行した。その後、日向国(宮崎県)四所の庄に下向し、同国諸県郡のうち嵐田名・踏切名を領した)―慶幸(佐々木大夫坊。のちに武家に還り、近江の白藤郷を知行した。……その弟の行綱は五郎左衛門、法名を源阿という)―重視(掃部助)、その弟に主計助持綱・源三泰綱・因幡守祐子・石見守久綱」などがある。 次に頼親の弟として「檀正(日向国平等寺の院主)、その弟の慶基(下野律師。日向国八幡宮政所ならびに西方寺の院主)、その弟の幸祐(備前阿闍梨。日向国諸県郡光明寺の別当、横川正行院の院主)、その弟の慈意(法眼。日向国法華岳・釈迦山・妙光院三か寺の別当。千僧供養ならびに千部の法華経を書写して供養した)、その弟の光盛(野村九郎左衛門)」と続く。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
野村ノムラ近江國淺井郡に野村庄、その他美濃、越後、安藝、紀伊、伊豫等に此の地名存す。 1佐々木氏族近江國淺井郡野村庄より起る。佐々木系圖に「(加地)三郞左兵衛-尉盛綱二男盛季(左衞門尉、鳥坂城合戰に一陣懸け、疵を被り、建仁山堂衆合戰の時、忠戰を致して數疵を被りて死す。江州野村庄領主)」と載せ、分脈には盛季を右門尉盛則に作り、同樣の記事を載せ、又正應奧書の佐々木系圖には「盛秀(三郞左衞門尉)」と見ゆ。淺羽本には「盛季·左衞門尉「島坂合戰の懸け一陣疵を被り、建仁山堂衆合戰の時、忠戰を致し數疵を被りて死す。江州野村庄領主、子孫末にあり」として、次の系圖あり。「盛季(盛綱二男、野村小三郞、左衞門尉)-盛蓮(山徒、四郞房と號す。近江國白藤郷、野村〓知行。其の後、日向國四所の庄に下向、同國諸縣郡の内·嵐田名、踏切名、領庄)-慶幸(佐々木大夫坊、後に武家に還り、近州白藤郷知行。……其の弟行綱は五郞左衞門、法名源阿と見ゆ)-重視(掃部助)、その弟に主計助持綱、源三泰綱、因幡守祐子、石見守久綱」等あり。次に賴親の弟「檀正(日向國平等寺院主)、其の弟慶基(下野律師。日向國八幡宮政所.井に西方寺院主)、其の弟幸祐(備前阿闍梨。日向國諸縣郡光明寺別當、橫川正行院々主)、其の弟慈意(法眼。日向國法華岳、釋迦山、妙光院三當別當、千僧供養、井に千部法華經を書寫、供養を爲す)、其の弟光盛(野村九郞左衞門。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
この名字の人々
同じ読みの名字
野村と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
野村に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「野村」で始まる・野村を含む名字
野村の字をそのまま含む、より長い名字です。
同じくらいの多さの名字
全国順位が野村の前後にある名字です。
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