吉村
よしむらYoshimura
全国127位 ・ 約15万人
吉村(よしむら)は、 【1】清和源氏 ― 摂津国能勢郡の豪族で、吉村城(栗栖)は天文年間に吉村豊後守源盛光が拠った地であり、その子孫は今も続く。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- よしむら
- ローマ字
- Yoshimura
- 全国順位
- 全国127位
- 推計人数
- 約15万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.12%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
吉村をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Yoshimura読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 摂津国(大阪府・兵庫県)
- 豊後国(大分県)
- 大和国(奈良県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
吉村(よしむら)は、 【1】清和源氏 ― 摂津国(大阪府・兵庫県)能勢郡の豪族で、吉村城(栗栖)は天文年間に吉村豊後守源盛光が拠った地であり、その子孫は今も続く。また浪華の画家に吉村周山充興がおり、探仙と号した。 【2】曾根連姓 ― 大和国(奈良県)葛下・広瀬の両郡の名族で、樋口片岡氏の一族らしい。一族には、片岡弥太郎の麾下に吉村小兵衛秀之、筒井定次の配下に吉村新次郎要之、大坂城の武士に吉村小助○之などがおり、『郷士記』に見える。また順慶葬式帳に吉村小兵衛を載せ、広瀬神社の神主に吉村重次がある。「片岡」「樋口」「広瀬」などの項を参照。 ……(中略)【4】結解氏族 ― 近江蒲生郡の名族である。前項と同族だろうか。蒲生氏○に仕えた結解駒之丞は、天正十二年に氏郷の伊勢転封に従い、名を吉村助右衛門と改めたという。 【5】美濃(岐阜県)・尾張(愛知県)の吉村氏 ― 安八郡四島村の古城址は吉村次郎左衛門の居城だったといい、また石津郡高須に高洲山千手坊聖胎寺がある。もとは海西郡松木村にあり、吉村兵庫頭が造営した。 その古城について『新撰美濃志』に「松ノ木村の古城址は、吉村兵庫頭信○、吉村又吉郎安実(高二万石)が天正のころまで居住し、その後は○永法印寿昌が二万石(あるいは三万五千石)を領してここに居り、慶長五年に高須へ移ったと『美濃名細記』に見える」とある。 また「吉村源斎があり、岩屋に隠れ住んだと言い伝え、今も焼米石がある。岩屋の広さは四面九尺ほどである。源斎ははじめの名を吉村太郎左衛門氏勝といい、強力の評判があったので武田信玄が招いたが応じず、信玄が怒って殺害したと言い伝える。その子の七左衛門は苗木城主・遠山久兵衛に仕え、千旦林に住んだ」とある。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
吉村ヨシムラ〓和源氏攝津國能勢郡の豪族にして吉村城(栗栖)は天文年中、吉村豐後守源盛光の據りし地にして、その後裔·今猶ほ存す。又溟華の畫家に吉村周山充興あリ、探仙と號す。 2曾根連姓大和國葛下、廣瀬兩郡の名族にして、樋口片岡氏の族なるが如し。氏人は、片岡彌太郞麾下に吉村小兵衞秀之、筒井定次配下に吉村新次郞要之、大坂城士に吉村小助〓之等、郷士記に見ゆ。また順慶葬式帳に吉村小兵衞を載せ、又廣瀬神社神主に吉村重次あり、片岡、樋口.廣瀨等條參照。……4結解氏族近江蒲生郡の名族也、前項と同族か。蒲生氏〓に仕へし結解駒之丞は、天正十二年、氏郷の伊勢轉封に從ひ、名を吉村助右衞門と改めたりと。 5濃尾安八郡四島村古城址は吉村次郞左衞門の居城なりしと云ひ、又石津郡高須に高洲山千手坊聖胎寺あり、もと海四郡松木村に在りて、吉村兵庫頭造警す。その古城は新獨美濃志に「松ノ木村古城址は吉村兵庫頭信買、吉村又吉郞安實(高二萬石)·天正の頃まで居住し、其のち罐永法印壽昌·二萬石(或は三萬五千石)を領して、こゝに居り、慶長五年高須にうつりしよし、美濃名細記に見えたり」と。又「吉村源齊あり、窟にかくれ住みしといひ傳へ、今も燒米石あり、いはやの廣さ四面九尺ばかりあり。源齊はじめの名を、吉村太郞左衞門氏勝といふ、强力の聞へありければ、武田信玄·招きけれども應ぜず、信玄怒りて殺害せしよし、いひ傳へたり。其の子七左衞門は苗木城主遠山久兵衞に仕へ、千旦林に住す」と。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
吉村と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
吉村に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「吉」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が吉村の前後にある名字です。
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