村田
むらたMurata
全国78位 ・ 約21万人
村田(むらた)は、肥前に村田庄、常陸に村田庄・村田下庄・村田下郷などが見え、また上総・下総・上野・陸前・越後などにこの地名がある。
4件の公開家系図に 5人
基本情報
- 読み
- むらた
- ローマ字
- Murata
- 全国順位
- 全国78位
- 推計人数
- 約21万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.17%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
村田をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Murata読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「村田」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
『姓氏家系大辞典』第6巻 191コマに「家紋丸に井桁、九曜、五七個.丸に二引」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 肥前国(佐賀県・長崎県)
- 上総国(千葉県)
- 下総国(千葉県・茨城県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
村田(むらた)は、肥前(佐賀県・長崎県)に村田庄、常陸(茨城県)に村田庄・村田下庄・村田下郷などが見え、また上総(千葉県)・下総(千葉県・茨城県)・上野(群馬県)・陸前(宮城県・岩手県)・越後(新潟県)などにこの地名がある。 【1】村田史 ― 『日本書紀』天武天皇六年の条に「村田史名倉」という者がいる。 【2】海上氏族 ― 摂津(大阪府・兵庫県)の村田氏で、八部郡奥平野村の村田氏は名族として知られ、海上氏の支流だという。また明治初年に村田八良兵衛がおり、海上五十狭茅の九十三代の子孫だと称した。……(中略)第十六項に、清和源氏岩松時兼の二男・七郎頼兼が武蔵国(東京都・埼玉県)村田に住んだことから村田を称し、のちに薬師寺と改め、さらに村田に復したという。奥左衛門勝義の子・十兵衛常勝に至って幕府に仕えた。家紋は丸に井桁、九曜、五七桐、丸に二引。また浪花の歌人に村田春門(一柳、並樹、郁子園)、その子の七郎嘉言(太岳)、春野(大亮)などがあり、いずれも名がある。 【3】河内(大阪府)の村田氏 ― 延元のころ、楠木氏に従った武士に村田藤四郎がある。また永禄二年の交野郡総侍中連名帳に「津田村 村田四郎左衛門尉貞俊」を載せ、寛永の三宮拝殿着座覚に「村田氏三軒」が見える。 【4】清和源氏高屋氏族 ― 近江(滋賀県)の豪族で、御○氏の一族である。 【5】佐々木族 ― 家紋は丸に抱き沢瀉、三○。幕府医者の書付に「二百俵 医師村田忠庵、今ほど五百石、御番医師村田長庵」とある。 【6】高橋朝臣姓 ― 「タカハシ」の項を参照。柏を紋とする。 【7】橘姓 ― 神宮記録の太神宮司附属職掌人家系に「村田(御厨案主)、橘朝臣、本姓は藤原、称号は川村。河村時季四世・時季の子孫である。初代は正伊」と見える。 【8】伊勢(三重県)の村田氏 ― 『勢州四家記』に村田治部○が見える。神戸の侍である。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
村田ムラタ肥前に村田庄、常陸に村田庄、村田下庄、村田下郷等見え、又上總、下總、上野、陸前、越後等に此の地名あり。 1村田史天武紀六年條に「村田史名倉」なるものあり。 2海上氏族攝津の村田氏にして、八部郡奥平野村村田氏は名族として知られ、海上氏の支流也と云ふ。又明治初年、村田八良兵衞あり、海上五十狹茅九十三代孫也と稱す。……又第十六項、〓和源氏岩松時兼の二男七郞賴兼·當國村田に住せしより村田を稱し、後に薬師寺に改め、更に村田に獲すと。奥左衞門勝義の男十兵衞常勝に至り幕府に仕ふ。家紋丸に井桁、九曜、五七個.丸に二引。又浪花の歌人に村田春門(一柳、並樹、郁子圖)、その男七郞嘉言(太岳)、春野(大亮)等、皆名あり。 3河内の村田氏延元の頃、楠木氏に從ひし士に村田藤四郞あり。又水縣二年交野郡總侍中速名帳に「津田村村田四郞左衞門尉貞俊」を載せ、又寬永三宮拜殿着座覺に「村田氏三軒」見ゆ。〓和源民高屋氏族近江の豪族にして御圖氏の族也。 5佐々木族家紋丸に抱澤瀉、三日幕府藝者の書付に「二百俵醫師村田忠庵、今程五百石、御番醫師村田長庵」と。……6高橋朝臣姓タカハシ條參服。柏を紋とす。 7橘姓神宮記錄、太神宮司附屬職掌人家系に「村田(御厨案主)、橋朝臣、本姓藤順、稱號川村、河村時季四世時季裔也。初代正伊」と見ゆ。 8伊勢の村田氏勢州四家記に村田治部悉·見ゆ、神戶侍也。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
この名字の人々
同じ読みの名字
村田と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
村田に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
同じくらいの多さの名字
全国順位が村田の前後にある名字です。
存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →
