武田

たけだTakeda

全国83位 ・ 約20万人

武田(たけだ)は、前の数項と通じる。

9件の公開家系図に 19人

基本情報

読み
たけだ
ローマ字
Takeda
全国順位
全国83位
推計人数
約20万人
全国比率
日本人のおよそ0.16%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

武田をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Takeda読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 常陸国(茨城県)
  • 甲斐国(山梨県)
  • 下総国(千葉県・茨城県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

武田(たけだ)は、前の数項と通じる。また『和名抄』の常陸国(茨城県)那珂郡に武田郷がある。そのほか甲斐(山梨県)・下総(千葉県・茨城県)・陸奥(東北地方)・安芸(広島県)・薩摩(鹿児島県)などにこの地名がある。ただし今日この名字を名乗るものは、ほとんど甲斐武田の一族と称する。別系統もある。 【1】竹田臣姓 ― 甲州の武田氏である。今、一つの説として挙げる。『甲斐国志』などによると、次のようにいう。「武田館(武田村)。御屋敷(芝地およそ一町四方)、御庭(芝地三十六間に十四間余)、御旗部屋(芝地三間四方ほど)、御酒部屋(芝地一間四方ほど)、的場(土手の形が残る)、御堀、具足沢、金精水などの名がある。城山は八幡山の南で、要害城と見える。武田太郎信義がこの地を居館とし、はじめて武田氏と称したという。また定額寺という廃跡があり、墓寺だったのだろうか。和仁塚は北富地村に属する。塚の形が神前に掛ける鰐口に似ているので、後の人がそれで名づけたものか。里人は鎮西八郎為朝が鬼を使ったことを言い伝え、『甲陽随筆』にもこれを載せているが、みな鍋山の鬼見堂などからこじつけた話である。武田八幡の千(一本には子)社に為朝の宮がある。あるいは武田庄とも言い伝える。今は高千四百余石である」。 ある人は「鬼御堂は王仁御堂で、和仁家というのは、つまり王仁の塚ではないか」という。思うに、『姓氏録』に「竹田臣は、孝元天皇の皇子・大彦命の子である武渟川別命の子孫である」とある。「竹」と「武」とは読みが通じる。武田八幡宮の社伝に「武渟川別命が封を受けた地である。後世それにちなんで名づけ、郡の館を建てた所を武田といい、封じられた邑を淳川という。思うに竹田臣の名はここに始まる」云々とある。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

武田タケダ前數條と通じ、また和名抄、常陸國部珂郡に武田郷あり。その他、甲斐、下總、陸奥、安藝、薩摩等に此の地名存す。されど今日此の氏を稱するものは、殆んど甲斐武田の族と稱す。但し異流もある也。 1竹田臣姓甲州の武田氏なり、今一說として擧ぐ。甲斐國志等に據るに『武田館(武田村)。御屋敷(芝地方壹町許)、御庭(芝地三十六間に十四間餘)、御旗部屋(芝地方三間許)、御酒部屋(芝地方一間許)、的場(垛形存せり)、御湟、具足澤、金精水等の名あり。城山は八幡山の南、要害城と見えたり。武田太郞信義·此の地を居舘とし、始めて武田氏と稱すと云ふ。又定額寺と云ふ廢跡あり、墳寺なりしにや。和仁塚は北富地村に屬す。塚の形·神前に掛くる鰐口に似たり、後人因りて名となすか。里人鎭四八郞爲朝が鬼を使命せしことを云ひ傳ふ、甲陽隨筆にもこれを載せたれど、皆鍋山の鬼見堂などより附會せし言なり。武田八幡の千(一本子)社に爲朝の宮あり。或は武田庄とも云ひ傳ふ。今高千四百餘石なり。或る人云ふ「鬼御堂は王仁御堂にて、和仁家と云ふは、卽ち王仁の塜ならんか」と云へり。按ずるに、姓氏錄に「竹田臣は、孝元天皇の皇子大彥命の男武渟川別命の後也」と。竹と武とは訓·相通す。武田八幡宮の社傳に云ふ「武渟川別命·封を受くるの地なり。後世因りて名づけて、郡舘を建つる處を、武田と云ひ、封邑を淳川と云ふ。盖し竹田臣の號·こゝに始まる」云々と。

姓氏家系大辞典 第4巻 12コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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