丸に鷹の羽

葛山

かつらやまKatsurayama

全国5466位 ・ 約1,870人

葛山(かつらやま)は、駿河発祥の大族である。

5件の公開家系図に 3人

基本情報

読み
かつらやま
ローマ字
Katsurayama
全国順位
全国5466位
推計人数
約1,870人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「葛山」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第2巻 210コマに「家紋丸に打違鷹の羽、山形に二也6武藏に葛山平殿、片山條」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 駿河国(静岡県)
  • 尾張国(愛知県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

葛山(かつらやま)は、駿河発祥の大族である。ただし異流も存する。また桂山と通じる。 【1】藤原北家大森氏流 ― 駿河国(静岡県)駿河郡葛山邑から起こる。大森氏の一族で、「大森葛山系図」に系譜が載る(以下、系図の引用。人名・続柄が入り組み、原文の組版も乱れている)。 「惟康(伊勢新二郎大夫、あるいは高橋殿)-惟綱(従五位上、鮎沢四郎大夫、また藍沢。兄惟直と同腹であったので、所領を併せて譲られ、相伝して知行させた。この所領の手継文書などは、妻女すなわち維綱らの母が離別されたために恨んで死んだというが、その文書を盗み取って焼かせ、また嫡子惟忠が、後家の女子から相伝の文案を盗み取り、土中に埋め隠して失わせたという)。 -惟忠(葛山二郎)-惟重(六郎、御宿殿。建久四年五月八日、頼朝の富士藍沢の狩りの際に宿を申し出た。これにより御宿と号した)。……(中略)惟康の出自については「大森」の項を見よ。 また惟重の弟に「惟継(葛山七郎、入西。男女はあるが、長子に所領を養子に譲り与えた)」とある。またその弟に「景忠(葛山三郎、上田殿という)-最倫(葛山五郎、源承が薨じた時に出家し、高野の願性房となる)」、弟の「惟○(葛山四郎、金沢殿。子がなかったので、孫の新二郎惟村を養って譲った)-女子(金沢尼安蓮)、その妹(惟村・朝親の母)、その妹(中里小二郎参親の母)、その妹(金屋宮原の領主……)」などとある。 また「広重の弟・家重(葛山小三郎。承久合戦のとき尾張国(愛知県)で討たれたと見える)、弟の惟景(四郎入道)-行景(四郎二郎)」と載せている。この氏は「東鑑」巻二十五に「葛山太郎」、二十五・三十六に「葛山次郎」と見え、南北朝の頃、最初は南朝に属した。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

葛山カツラヤマ駿河發祥の大族なり、されど異流も存す。又桂山と通ず。 1藤原北家大森氏流駿河國駿河郡葛山邑より起る。大森氏の族にして、大森葛山系圖に「惟康(伊勢新二郞大夫、或は高橋殿)-惟紙(從五位上、鮎澤四郎大夫、又藍澤。兄惟直と一腹なるに依りて、所領を併せて之を讓られ·相傳知行せしむ。件の所領手權文書等は、妻女、維綱等の母、離別せらるゝにより恨死を成すと云へども、彼の文書を盡み取り焼せしめ、又嫡子惟忠、後家の女子毋·相傳の文案を盗み取り、土底に埋め隱して、托失せしむる也)-惟忠(葛山二郞)-惟重(六郞、御宿殿、建久四年五月八日、輻朝富士藍澤御狩の時、御宿を申す。則ち御宿と號す。……惟康の出自については大森條を見よ。又惟重の弟「惟繼(葛山七郞、入西、男女ありと雖、長·所領を養子に讀與す)」と。又其の第「景忠(葛山三郞、上田殿と云ふ)-最倫(葛山五郞、源承相薨ずる時に出家、高野願性房)、第惟〓(葛山四郞、金澤殿、子なきにより、孫新二郞惟村を養ひ讀奥す)-女子(金澤尼安蓮)、其の妹(惟村、朝親の母)、其妹(中里小二郎參親母)、その妹(金屋宮原領主·)云々」と又「廣重の弟家重(葛山小三郞、見ゆ。承久合戰の時、尾張國に於いて討たる)、第惟景(四郞入道)-行景(四郞二郞)」と載せたり。此の氏は、東健卷二十五に「葛山太郞、」二十五、三十六に「葛山次郞、」南北朝の頃、最初は南朝に屬す。

姓氏家系大辞典 第2巻 209コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

この名字の人々

同じ読みの名字

葛山と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

葛山に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

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