大塚
おおつかOotsuka
全国81位 ・ 約21万人
大塚(おおつか)は、山城に大塚庄があり、また河内・摂津・伊勢・尾張・三河・甲斐・武蔵・常陸・近江・美濃・上野・下野・岩代・陸前・羽前・出雲・安芸・日向などにこの…
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- おおつか
- ローマ字
- Ootsuka
- 全国順位
- 全国81位
- 推計人数
- 約21万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.17%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
大塚をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Ootsuka読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「大塚」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
笹竜胆
竜胆の葉を開き、その上に花を立てた図案。
『姓氏家系大辞典』第2巻 38コマに「家紋笹龍膽」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 山城国(京都府)
- 河内国(大阪府)
- 摂津国(大阪府・兵庫県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
大塚(おおつか)は、山城(京都府)に大塚庄があり、また河内(大阪府)・摂津(大阪府・兵庫県)・伊勢(三重県)・尾張(愛知県)・三河(愛知県)・甲斐(山梨県)・武蔵(東京都・埼玉県)・常陸(茨城県)・近江(滋賀県)・美濃(岐阜県)・上野(群馬県)・下野(栃木県)・岩代(福島県)・陸前(宮城県・岩手県)・羽前(山形県)・出雲(島根県)・安芸(広島県)・日向(宮崎県)などにこの地名がある。 【1】橘姓楠木氏流 ― 河内国丹比郡の大塚邑から起こったのだろうか。楠木氏の一族で、大塚掃部助惟正は湊川の戦いに従い、のちにまた楠木正行に従って四条畷で奮戦したが、一族が討死したと聞き、重傷をかえりみず接戦して忠死した。このことは『太平記』巻二十六に見える。 また和田文書の延元二年八月、岸和田侍従房快智の軍忠状に「以上の条々、軍忠の次第は、当国守護代・大塚掃部助惟正ならびに八木弥太郎入道法達、土生彦次郎義綱以下が、同じ所での合戦のあいだ、承知しているところである」とあり、「当国守護御代官」とも載せる。また岸和田弥五郎治氏の軍忠状にも「当国守護代・大塚掃部助惟正、かつ八木弥太郎入道法達ならびに上○弥次郎俊康」と載せ、同年十一月の定智の軍忠状には惟正のほかに大塚新左衛門尉正連を挙げている。 【2】中宮陵戸 ― 摂津矢田部郡中宮六戸。この村は陵墓を守る家なので六戸と限られた。大塚利左衛門・塚本伊左衛門・仲居源右衛門・仲居利三郎・鎗中増右衛門の六家である。現在、中宮の旧地に居を構えるものはわずか三戸にすぎず、そのほかは各地へ移った。従来この村の旧記は生田神社の宝庫に納めてあったが、昔の火災ですべて焼失したと伝える。また大塚は六戸の長で、塚本はその分家だという。いずれにせよ戸数の増減がないところなので生計も苦しく、農業のほか近世は水車業を営んだという。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
大塚オホツカ山城に大塚庄あり、又河内攝津、伊勢、尾張、三河、甲斐、武藏、常陸、近江、美濃、上野、下野、岩代、陸前、羽前、出雲、安藝、日向等に此の地名あり。 1橋姓楠木氏流河内國丹比郡大塚邑より起りしか、楠氏の旅にして、大塚掃部助惟正は湊川の役に從ひ、後また正行に從ひて四條畷に奮戰せしも、一族死すと聞き、重傷を願みず、接戰して忠死す、事太平記卷二十六に見えたり。又和田文書延元二年八月の岸和田侍從房快智の軍忠狀に「以前の條々、軍忠の次第、當國守護代大塚掃部助惟正、井に八木彌太郞入道法達、土生彥次郞義綱巳下、同所合戰の間、存知せしむる所也」と。又「當國守護御代官」と載せ、又岸和田彌五郞治氏の軍忠狀にも「當國守護代大塚掃部助惟正、且つ八木彌太郞入道法達、井に上癇彌次郞俊康」と載せ、又同年十一月定智の軍忠狀に惟正の外、大塚新左衞門尉正連を擧げたり。 2中宮陵戶攝津矢田部郡中宮六戶當村は陵墓丁なるを以て、六戶と限られたり。大塚利左衞門、塚本伊左衞門、仲居源右衛門、仲居利三郞、鎗中增右衞門の六家ます。現今中宮の舊地に居を構ふるもの僅に三戶に過ぎず、其他は各地に移轉せリ。從來此の村の舊記は、生田神社の實庫に收め置きしに、往昔火災の爲め悉く書類を燒失せりと傳ふ。又大塚なるものは六戶の長にして、塚本は其の分家なりといふ、何れにするも、増減なき所なれば、生計も困難なるより農業の外、近世は水車業を營めりとぞ。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
大塚と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
大塚に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「大」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が大塚の前後にある名字です。
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