丸に鷹の羽

大橋

おおはしOohashi

全国147位 ・ 約14万人

大橋(おおはし)は、常陸・下野・陸中・佐渡・豊前・肥後などにこの地名がある。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
おおはし
ローマ字
Oohashi
全国順位
全国147位
推計人数
約14万人
全国比率
日本人のおよそ0.11%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

大橋をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Oohashi読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「大橋」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第2巻 70コマに「家紋丸に鈕鷹の羽、抱海老の丸」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 陸中国(岩手県・秋田県)
  • 佐渡国(新潟県)
  • 豊前国(福岡県・大分県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

大橋(おおはし)は、常陸(茨城県)・下野(栃木県)・陸中(岩手県・秋田県)・佐渡(新潟県)・豊前(福岡県・大分県)・肥後(熊本県)などにこの地名がある。「大庭」の項の第八・第九項、「大場」「大羽」などと通じる。(この間は原文に柱の文字が入り込んで読み取れない) 【1】桓武平氏 ― 筑後守貞能の子孫で、肥後国山本郡の大橋邑から起こった。この氏については大橋家伝があり、信じがたい点が少なくないが、非常に有名なので次に引く。 「文治年中、肥後国大橋という所に大橋左衛門貞経という人があった。先祖は桓武天皇の皇子・葛原親王より十二代の子孫で、筑後守家貞の孫、肥後守貞能の子である。はじめて肥後国の代官として下向し、この所に住んだので大橋と名乗った。貞能の代に平家が没落したので、貞能は舅である尾張国(愛知県)の住人・原平太夫高春のもとに隠れ住み、後には剃髪染衣の姿となって、最期の地は知られない。 貞能の子・貞経は、貞能が上洛したおり鎌倉殿に降参したので、世が静まったのち本領のうち三十余か所を賜り、御家人の列に加えられた。貞経の妻は肥後国の住人・鍋屋荘司の娘で、美女の評判があったので十三の歳に迎え取り、長年連れ添ったが子が一人もなかった。夫婦ともにこれを悲しみ、阿蘇山の観世音に参って祈ったところ、ほどなく身重となったので、貞経の喜びはひととおりではなかったという。 ……(中略)生け捕りを引き連れて鎌倉へ赴き、こうこうと申し上げたところ、頼朝が仰せられるには、『ただ今にも首を刎ねるところだが、思うところがある』として、梶原に命じて松葉が谷の土の牢に入れられた。貞経の領地は梶原に与えられた」。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

大橋オホハシ常陸、下野、陸中、習、大庭條第八項、第九項大場、大羽等と通じオホハオホハ-オホハナオホハカ-オホハシ一二七九佐渡、豐前、肥後等に此の地名あり。 1桓武平氏筑後守貞能の後にして、肥後國山本郡大橋邑よリ起る。此の氏につきては大橋家傳あり、信じ難き點尠からざれど、甚だ有名なれば次に引くべし。「文治年中に、肥後國大橋と云ふ所に、大橋左衞門貞經と云ふ人あり。先祖は桓武天皇の皇子葛原親王より十二代の後胤、筑後守家貞が孫にして、肥後守貞能が子なり。はじめて肥後國の代官と爲て下向し、此所に住みしより、大橋とぞ名乘ける0貞能が代に、平家沒落せしかば、貞能が舅、尾張國住人原平太夫高春が許に隱れ居て、後には剃髪染衣の姿となり、終る所しれざりけり。貞能が子貞經は、貞能上洛の砌、鎌倉殿に降參しければ、世しづまりて後、本領の内三十餘个所を賜はり、御家人の列に加へらる。貞經が妻は肥後國住人鍋屋莊司が娘にて、美女のきこひ有しかば、十三の歲むかへとり、年比相關しかども、子一人も無りしかば、夫婦ともに是れを悲み、阿蘇山の觀世音にまうでゝ、いのりけるに、ほどなくただならぬ身となりければ、貞經が慢斜ならずとぞきこへける。……最時生捕を引具して、鎌倉に赴き、かくと申上しかば、賴朝仰けるやうは、只今首を刎ねむつれとも、思ふ仔細あればとて、梶原に仰せて松葉が谷の土の牢に入られける。貞經が領地をば梶原に給りける。

姓氏家系大辞典 第2巻 68コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ読みの名字

大橋と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

大橋に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が大橋の前後にある名字です。

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