橋口

はしぐちHashiguchi

全国538位 ・ 約3.7万人

橋口(はしぐち)は、この地名・場所の名は全国至る所にあるだろう。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
はしぐち
ローマ字
Hashiguchi
全国順位
全国538位
推計人数
約3.7万人
全国比率
日本人のおよそ0.030%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

橋口をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Hashiguchi読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 周防国(山口県)
  • 大隅国(鹿児島県)
  • 河内国(大阪府)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

橋口(はしぐち)は、この地名・場所の名は全国至る所にあるだろう。「加藤」の項一五七二頁を……(このあと原文の組版が入り乱れ、紀伊高野領の桜井氏に関する別項の記事が入り込む) 「……村中で屋敷地・山林若干、○諸役を免許し、旗を預けて領内の総下知を掌らせた。その領地は都合五百七十石余であったという。今はその家は甚だ衰えた。屋敷跡は四百坪ばかりで、高野からの免許地である。家に古い仮面を蔵する。文禄年中、桜井刑部が貴志川の国主社の傍らの淵に入って取って来たものという。高野領内で神社を改造するとき、神前でその面を付けて舞をする。また三郎の故事によるという」。……(中略) 【2】伴姓肝付氏族 ― 薩摩(鹿児島県)・大隅(鹿児島県)の豪族で、肝付系図に「六代兼藤の二男・兼重(八郎、左衛門尉、周防守。三俣を領す)、弟の三男・兼成(一説に兼経。五郎九郎。大始良を領して橋口を領す)」とある。……(中略) 伊集院の麦生田城に拠った。『地理纂考』鹿児島郡麦生村麦生田城の条に「橋口兼弘の居城である。系図に『兼弘は大隅国肝付の領主・肝付河内伴兼石の第二子、肝付兵衛兼市の裔で、兼市は日向三俣院の郡司職である。ゆえに三俣とも称する。兼市の嫡男を肝付八郎兼重という。累代、肝付を領した。 兼重より五世の備前(岡山県)○兼(五世とは兼重・兼幸・兼元・兼次・○兼である)に三子があった。長男の孫市郎兼始は早く卒した。次を孫市左衛門という。第三子はこの邑の妙円寺に入って僧となり、覚雲と号した。文明十八年丙午、孫市左衛門は日向飫肥で戦死した。これによって清兼に世嗣がなく、そこで覚雲に命じて帰俗させた……(この先は引用が閉じないまま途切れている)

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

橋口ハシグチ此の地名、場所名は全國到る處にあるべし。加藤條一五七二頁を糠部刀、及び村中にて屋敷地、山林若干を奥〓諸役を免許し、旗をあづけ、領內の惣下知を掌らしむ。其の領地·都合五百七十石餘ありしといふ。今は其の家甚だ衰ふ。屋敷跡四百坪許、高野よりの免許地なり。家に古き假面を藏む。文祿年中、櫻井刑部·貴志川國主社の傍の淵に入りて、取り來る所といふ。高野領内、神社改造供のとき、神前にて、其の面を付けて舞をなす。又三郞の故事によるといふ。……2伴姓肝屬氏族薩隅の豪族にして、肝付系圖に「六代兼藤二男兼重(八郞、左衞門尉、周防守、三俣を領す)、弟三男兼成(一に兼經。五郞九郞、大始良を領して橋口を領す)」と。……ハシクチ伊集院の麥生田城に據る。地理纂考、鹿兒島郡麥生村參生田城條に「橋口兼弘の居城なり。系圖に『兼弘は大隅國肝付の領主·肝付河内伴兼石の第二子、肝付兵衞兼市の裔宵にて、兼市·日向三俣院郡司職なり、故に三俣とも稱す。兼市の嫡關を肝付八郞兼重といふ。累代肝付を領ナ。兼重より五世、備前〓兼(五世は兼重、兼幸、兼元、兼次、〓兼也)に三子あり、長男孫市郞兼始·蛋く卒す。次を孫市左衞門といふ。第三子は當邑妙圓寺に入りて儈となり、覺雲と號す。文明十八年丙午、孫市左衞門·日向飯肥に於いて戰死す。是れを以つて、清兼に世嗣なし、因つて覺雲に命じて歸俗せしむ。

姓氏家系大辞典 第5巻 70コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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