樋口
ひぐちHiguchi
全国135位 ・ 約15万人
樋口(ひぐち)は、山城・武蔵・信濃・下野・陸奥・肥前などにこの地名がある。
4件の公開家系図に 7人
基本情報
- 読み
- ひぐち
- ローマ字
- Higuchi
- 全国順位
- 全国135位
- 推計人数
- 約15万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.12%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
樋口をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Higuchi読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「樋口」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
『姓氏家系大辞典』第5巻 214コマに「家紋丸に三引、抱牡丹」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 山城国(京都府)
- 武蔵国(東京都・埼玉県)
- 信濃国(長野県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
樋口(ひぐち)は、山城(京都府)・武蔵(東京都・埼玉県)・信濃(長野県)・下野(栃木県)・陸奥(東北地方)・肥前(佐賀県・長崎県)などにこの地名がある。 【1】曾根連姓 ― 大和国(奈良県)広瀬郡の広瀬神社の旧神家で、本姓は曾根連、饒速日命から出る。その五世の孫・物部十市根連の八世の後に韓犬がいる。韓犬は天智・天武の両朝に仕え、白鳳四年、勅を受けて大忌神を祭った。『日本書紀』に見える。以後、子孫がその職を継いだ。『広瀬神社記略抄』にその系譜を載せる。神主曾根連(および樋口氏)の略系譜は「ソネ」の項を参照。 同書は続けて、次のようにいう。「その後、庶子と嫡子とを分けて両家となった。ここに樋口氏が起こる。神主家は曾根連の氏姓を用いる。かの誠○(韓犬の二十五世の孫)の子孫は絶えず、わずかにその職を務めて応永に至った(応永は百一代後小松院の年号である。時の神主は無位無官の福大夫吉次で、韓犬の三十世の孫にあたる)。また曾根氏の家にはその道を継がない者があって、文○(百五代後柏原院の年号)に衰えた。ここに誠○の孫の何某(その名は欠けている)の四世の孫が内匠権頭・樋口誠之である」。……(この部分は原文の行が崩れていて読み取れない) 続けて「広瀬里(広瀬殿と称する地)に住み、もっぱら武芸に励んだ。誠之の子を内匠権助・樋口誠為(韓犬の三十一世の孫である)といい、片岡城を大和国葛下郡に築いて南朝(嵯峨小倉殿、後亀山院の皇子)の厳命に従った。その年号を考えれば正長(百二代称光院の年号)元年だろう。誠為の五世の孫、片岡城主・河内守樋口邦維(韓犬の三十六世の孫)が広瀬神社の由緒を尋ねて神社記三冊を編集した。時に百六代後奈良院の天文七年十二月十一日である」とある。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
樋口ヒグチ山城、武藏、信濃、下野、陸奥、肥前等に此の地名存す。 1曾根連姓大和廣瀬郡廣瀨神社の舊神家にして、本性曾根連、饒速日命より出づ。その五世孫物部十市根連の八世の後に韓犬あり。韓犬·天智、天武の兩朝に仕へ、白鳳四年、勅を牽じて大忌神を祭る:日本書紀に見えたり。爾來子孫·其の職を襲ふ、廣瀨神社記略抄に其の系譜を載せたり。神主曾根運(並に樋口氏)略系譜はソネ條を見よ。而して「然る後庶嫡を分つて兩家と爲る。是に於いて樋口氏·起る矣。神主家は曾根連の氏姓を用ふ。彼の誠〓(韓犬二十五世孫)の後胤·未だ絶えず、縫かに其の職に供はり、應永に至る(應永は百一代後小松院の年號也。時に神主無位無官福大夫吉次、)卽ち韓大が三十世孫也。且つ曾根氏の家·嘗つて其の道を繼がざるありて、文(百五代後柏原院の年號也)に衰ふ。粤に誠〓の孫何某(其の名欠く)以つて四世の孫内匠權頭樋口誠之ヒラ-ヒクチ比丘なるべし。耐侶也。等に及ぶ。廣瀨里(當稱廣瀨殿に住居し、事ら武藝に勵む爲。誠之の兒を內匠權助樋口誠爲(韓犬卅一世の孫也)と日ふ、片岡城を當國葛下郡に築造して、南帝(嵯峨小倉殿、後龜山院の皇子也)の嚴命に屬す。其の年號を考ふれば、正長(百二代稱光院の年號)元年ならん平。誠爲五世孫片岡城主河内守樋口邦維種犬三十六世の孫也)、課く廣瀬神社の陵運を嗷き、神社記三册を編集す。時に百六代後奈良院天文七年十二月十一日也。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
この名字の人々
同じ読みの名字
樋口と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
樋口に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「樋」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が樋口の前後にある名字です。
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