関
せきSeki
全国134位 ・ 約15万人
関(せき)は、伊勢・上総・常陸(関庄)・近江・美濃・信濃・下野・磐城・岩代・陸中・陸奥・羽前・羽後・若狭・越前・越後・豊後などにこの地名がある。
2件の公開家系図に 2人
基本情報
- 読み
- せき
- ローマ字
- Seki
- 全国順位
- 全国134位
- 推計人数
- 約15万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.12%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
関をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Seki読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「関」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
蝶
羽を広げたアゲハチョウを象った図案。
『姓氏家系大辞典』第3巻 432コマに「紋は上羽の蝶也」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 上総国(千葉県)
- 近江国(滋賀県)
- 美濃国(岐阜県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
関(せき)は、伊勢(三重県)・上総(千葉県)・常陸(関庄)・近江(滋賀県)・美濃(岐阜県)・信濃(長野県)・下野(栃木県)・磐城(福島県・宮城県)・岩代(福島県)・陸中(岩手県・秋田県)・陸奥(東北地方)・羽前(山形県)・羽後(秋田県)・若狭(福井県)・越前(福井県)・越後(新潟県)・豊後(大分県)などにこの地名がある。もともと関所のあった地なので、ほかにもまだ多いだろう。したがって、これらの地名を名乗った関氏も流派が少なくないことを知っておかなければならない。 【1】中臣姓 ― 伊勢の関から起こったものか。…… 【2】桓武平氏 ― 伊勢国鈴鹿郡の関から起こった。伊勢の大族で、一族は鈴鹿・河曲の二郡に栄え、関一党と称された。伊勢平氏の一つで、その名は古くから知られるが、系統の出どころははっきりせず、いくつもの説がある。ただ普通は平重盛の子・資盛の子孫とするので、まずその説を載せ、次に別の説を述べる。 まず『勢州四家記』に、次のようにある。「関の一党とは、六波羅太政大臣・平清盛公の子孫である。先祖の小松内大臣重盛公が天下を治めていたころ、次男の小松新三位中将資盛卿が十三歳のとき、殿下乗合の事件によって伊勢国鈴鹿郡の関谷久我という所へ六年の間流された。そのとき一子があり、源氏の世となって北条家がこれを預かって命を助け、盛国と号して関東で死去した。その子の関左太夫将監実忠がはじめて関谷を領知し、関と称した。その子孫の関四郎は足利尊氏卿に仕えて繁昌した。 関の三家督というのは、鈴鹿郡亀山・河曲郡神戸・鈴鹿郡峰で、いずれも国家である。それぞれ侍・地下人を従える千人の大将である。同じく五大将というのは、鈴鹿郡の国符国家、鹿伏兎の関家と三家督とを合わせたもので、いずれも五百人の大将である。関勢の与力は五千人である。この五家はいずれも足利家の侍である」。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
關セキ伊勢、上總、常陸(關庄)、近江、美濃、信濃、下野、磐城、岩代、陸中、陸奧、羽前、羽後、若狹、越前、越後、豐後等に此の地名存す。もと関所のありし地なれば、猶ほ多かるべし。從つて此等の地名を負ひし關氏も、その流派の尠からざるを知らざるべからず。 1中臣姓伊勢の關より起りしか。……2桓武平氏伊勢國鈴鹿郡關より起る。當國の大族にして、一族鈴鹿、河曲二郡に榮ゆ、稱して關一黨と云ふ。伊勢平氏の一にして、其の名·古くより著はるれど、系の出づる處は鮮明を缺く、從つて敷說あり。されど普通には、重盛の子資盛の後とするが故に、先づ其の說を載せ、セヲカセノヲカ江戶の名醫に、次に黒說を述べん。先づ勢州四家記に「關の一黨とは、六波羅太政大臣平〓盛公の後胤也。先祖小松内大臣重盛公·天下を治め給ふ頃、次男小松新三位中將資盛卿·十三歲の時、殿下乘合に依りて、勢州鈴鹿郡關谷久我と云ふ所へ六年の間流さる。其の時一子あり、源氏の世となりて、北條家是を預リ命を助け、盛國と號し、關東に死去せり。其の子關左太夫將監實忠、始めて關谷を頷知し、關と壁す。其の苗裔関四郞·足利尊氏卿に仕へて繁昌す。關の三家督といふは、鈴鹿郡亀山、河曲郡神戶、鈴鹿郡峰、何れも國家也。各々侍地下人共、軍兵千の大將也。同五大將といふは、鈴鹿郡國符國家、鹿伏兎関家と三家督となり。何れも五百の大將なり。関勢與力五千人也。此の五家は、各足利家の侍也。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
この名字の人々
同じ読みの名字
関と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
関に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「関」で始まる・関を含む名字
関の字をそのまま含む、より長い名字です。
同じくらいの多さの名字
全国順位が関の前後にある名字です。
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