栗山

くりやまKuriyama

全国543位 ・ 約3.7万人

栗山(くりやま)は、上総・下総・上野・下野・播磨などにこの地名がある。

1件の公開家系図に 1人

基本情報

読み
くりやま
ローマ字
Kuriyama
全国順位
全国543位
推計人数
約3.7万人
全国比率
日本人のおよそ0.030%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

栗山をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Kuriyama読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 上総国(千葉県)
  • 下総国(千葉県・茨城県)
  • 播磨国(兵庫県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

栗山(くりやま)は、上総(千葉県)・下総(千葉県・茨城県)・上野(群馬県)・下野(栃木県)・播磨(兵庫県)などにこの地名がある。……(中略)「マスダ」の項を参照。出雲国(島根県)意宇郡鷹日神社の慶長十八年の棟札に「栗山伊賀守重広 新建」とあるのは、この一族だろう。 【2】宇佐氏流 ― 紀伊国(和歌山県)の名族で、『続風土記』牟婁郡東山邑の旧家、地士・栗山彦之丞の条に「家伝にいう、祖は豊前国(福岡県・大分県)宇佐の社人の一族で、この村に住み、宇佐八幡宮を勧請して祀った。その孫・栗山三郎勝重は湯川直春に仕え、日高郡財部村および古屋谷を領した。天文十三年に直春が滅亡し、翌年七月、泊城を攻めて戦死した。その妻は林村の脇田九郎兵衛俊勝に再嫁して勝俊を生んだ。勝俊は栗山の跡を継いで栗山治太夫という。代々古屋谷に住み、領主より地士とされた」と載せる。 また在田郡井関村の旧家・後平次は「祖を栗山左京進という。この所の白井原を領し、戸屋城に仕え、落城の後は農民となった」といい、また箕島村祇園社の神主にも栗山氏がある。……(中略) (黒田家臣・栗山利安の記事)利安は初め善助といい、天文二十年に生まれ、十五歳で孝高に仕えた。永禄十年、赤松下野守が別所加賀守と謀って小寺氏幸を攻めた。この時、利安は芝原弥十郎・桑木勘解由左衛門を討ち取った。同年、播州英賀表で房野弥三郎を討った。天正十五年、九州征伐の折、日向耳川で薩摩勢を追い散らした。その時も利安に功があった。 また黒田孝高が豊前の内の六郡を賜わると、国士らが所々に叛逆を起こして孝高に敵対した。中でも野中兵庫佐鎮兼は強敵であったが、利安はついに野中を討ち取った。それゆえ鎮兼の領地を残らず賜わった。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

栗山クリヤマ上總、下總、上野、下野、播磨等に此の地名存す。……マスダ條を見よ。出雲國意字郡鷹日神社慶長十八年棟札に「栗山伊賀守重廣新建」とあるは、此の族ならん。 2宇佐氏流紀伊國の名族にして、續風土記、牟婁郡東山邑舊家地士栗山彥之丞條に「家傳にいふ、祖は豐前國字佐の社人の一族にて、當村に住し、宇佐八幡宮を勸請して奉祀す。其の孫栗山三郞勝重·湯川直春に仕へ、日高郡財部村、及び古屋谷を領す。天文十三年、直春滅亡し、明年七月、泊城を攻めて戰死す。其の妻·林村の脇田九郞兵衛俊勝に再嫁し、勝俊を生む。勝俊·栗山の跡を續ぎ、栗山治太夫といふ。代々古屋谷に住し、領主よリ地士とす」と載せ、又在田郡井關村舊家後平次は「祖を栗山左京進といふ。當所白井原を領し、戶屋城に仕へ、落城の後農民となる」と云ひ、又箕島村祇園社神主にも栗山氏あり。……利安は初め善助と云ふ、天文二十年生れ、十五歲にして、孝高に仕ふ。永錄十年、赤松下野守、別所加賀守と謀り、小寺氏幸を攻む。此の時、利安·芝原彌十郞、桑木勘解由左衞門を討ち取る。同年、播州英賀表にて、房野彌三郞を討つ。天正十五年、九州征伐の砌、日向耳川に於て薩摩勢を追ひ散す。其の時、利安·功あり。又黑田孝高の豐前の内六郡を賜はるや、國士等·所々に叛逆を起し、孝高に敵す。中にも野中兵庫佐鎭兼は强敵なりしが、利安·終に野中を討取る。故に鎭兼が領地を殘らず賜はる。

姓氏家系大辞典 第2巻 526コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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