保坂

ほさかHosaka

全国548位 ・ 約3.6万人

保坂(ほさか)は、近江などにこの地名がある。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
ほさか
ローマ字
Hosaka
全国順位
全国548位
推計人数
約3.6万人
全国比率
日本人のおよそ0.029%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

保坂をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Hosaka読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 近江国(滋賀県)
  • 甲斐国(山梨県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

保坂(ほさか)は、近江(滋賀県)などにこの地名がある。 【1】倭姓 ― 甲斐(山梨県)の名族である。伝えていうには、倭国造・珍彦の遠い子孫で、姓を倭連といい、後世は保坂を族称としたという。穴山氏の家臣に保坂常陸守がある。また一条過去帳、明応五年四月五日に万歳の保坂六郎右衛門が見える。子孫は中巨摩郡寺部、また山梨郡赤尾邑および八代郡の名族だという。 【2】仁平氏族 ― 武蔵国(東京都・埼玉県)の族で……(ここから原文の組版が大きく入り乱れ、別項「宮崎」の北陸宮に関する論説が丸ごと入り込む) 「『玉葉』に『文治元年十一月十四日、北陸の宮が入洛された。これが頼朝の沙汰であった。宮は生年十九であったが、元服は加えたけれども名字が無かった』とある。また『百錬抄』に『寿永二年九月十一日、北陸の若宮が入洛あそばされたが、これは院より迎えられたのである』ともある。 ともかく、北陸の宮が宮崎の御所に数年間おられたことは事実で、その御所が宮崎の南方にある八幡山の頂上、三郎屋敷、後の宮崎城址にあったことは否まれない。そしてその位置は、後世に本丸と呼ぶところであったと考定するのである。そしてその地に現存する石を積んだ高台は、御所の一部であろう」。……(中略) (さらに別の見出しが挟まる)「鉾井(ほこい)」「桙削(ほこけずり)― 職業部の一つで、桙を作るのを職とし、天平勝宝四年紀に雑戸とする。そして『令集解』の雑工戸の内に『桙削……』」 (保坂氏の記事に戻る)『新編風土記』に「先祖を仁平三河守と称し、元亀二年六月二日に死んだ。その子の某は慶長年中に氏を保坂と改め、その子の徳右衛門某は村内の新田を開発し、その功によって地頭から除地一町八段一畝十歩の地を与えられ、代々名主役であったが、享保年中から今の名主・弥惣右衛門の家がその職に代わったという。弥惣右衛門はすなわち徳右衛門の分家である。また昔は武器や古文書なども所持していたが、宝暦四年に火災に罹ってみな烏有に帰した」と載せる。また四ヶ原村の名族で、先祖を保坂大炊介という。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

保坂ホサカ近江等に此の地名存す。 1倭姓甲斐の名族也。傳へ云ふ、倭國造珍彥の遠裔にして、姓を倭連と云ひ、後世保坂を族稱とすとぞ。穴山氏の家臣に保坂常陸守あり。又一條過去帳、明應五年四月五日に萬歲の保坂六郞右衞門·見ゆ。子孫中巨摩郡寺部、又山梨郡赤尾邑、及び八代郡の名族たりと。 2仁平氏族武國族にして、ホサカ受大あらう。玉澤に『文治元年十一月十四日、北陸の宮が入洛された、之が頼朝の沙汰であつた。宮は生年十九ではあつたが、元服は加へたれど、名字が無かつた』とある。又百鍊抄に『壽永二年九月十一日、北陸の若宮が入洛遊ばされたが、之れ院より迎へられたのである』ともある。兎に月、北陸の宮は、宮崎の御所に數年間居られたことは事實で、其の御所は宮崎の南方なる八幡山の頂上、三郞屋敷、後の宮崎城阯にあつたことは否まれぬ。而して其の位置は、後世本丸と呼ぶところであつたと考定するのである。而して其の地に現存せる石を以つて羽取れる高臺は、御所の一部であらう。……鉾井ホニキ桙削ホコケツリ職業部の一にして、枠を作るを職とし、天平勝賣四年紀に雜戶とせり而して令集解、雜工戶の内に「枠刊新編風土記に「先祖を仁平三河守と稱し、元亀二年六月二日死す。其の子某·慶長年中、氏を保坂と改め、其の子德右衞門某·村内の新田を開發し、其の功に依つて地頭より除地一町八段一畝十步の地を與へ、世々名主役たりしが、享保年中より今の名主彌惣右衞門が家にて其の職に代リしと云ふ。彌惣右衞門は則ち德右衞門が分家なり、又昔は武器古文書等も所持せしが、寶曆四年炎ひに罹つて皆鳥有となる」と載せ、又四ヶ原村の名族にて、先祖を保坂大炊介と云ふ。

姓氏家系大辞典 第5巻 418コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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