小坂
こさかKosaka
全国470位 ・ 約4.3万人
小坂(おさか/こさか)は、『和名抄』の駿河国富士郡に小坂○があり「平佐加」と注記する。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- こさか
- ローマ字
- Kosaka
- 全国順位
- 全国470位
- 推計人数
- 約4.3万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.035%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
小坂をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Kosaka読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「小坂」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
桧扇
広げた扇に骨を描いた図案。
『姓氏家系大辞典』第1巻 468コマに「家紋七星、檜扇」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 駿河国(静岡県)
- 但馬国(兵庫県)
- 備中国(岡山県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
小坂(おさか/こさか)は、『和名抄』の駿河国(静岡県)富士郡に小坂○があり「平佐加」と注記する。また但馬国(兵庫県)出石郡に小坂○があり、これも「乎佐加」と読む。同じ所に式内の小坂神社が鎮座する。また備中国(岡山県)浅口郡に小坂○があり「乎佐加」と注記する。 そのほか山陽・摂津以下、小坂の地名は頗る多い。そのうち羽前(山形県)・羽後(秋田県)の小坂は「こさか」である。また中世、相模(神奈川県)の鎌倉を小坂郡と呼ぶ。これも「こさか」だろう。この氏はこれらの地名を負ったもので、二通りの読みがある。なお忍坂・押坂の子孫であるものもあるだろう。 【1】清和源氏頼信流 ― 大和国(奈良県)式上郡の小坂邑から起こった。『郷士記』に「小坂右京進貞喜(源頼信の六代・義遠の孫)、小坂九郎」などを挙げる。 【2】在原姓長谷川党 ― これも大和の豪族である。長谷川党の一つで、法貴寺の氏人である。「ハセガハ」の項を参照。 【3】藤原姓(小○氏流)― 美作国(岡山県)勝北郡梶並庄の小坂邑から起こった。大永二年十二月十日の山名○堅(忠重)の判書に「小坂筑後守」、文亀三年八月二十三日の則久の判書に「豊田四庄社領云々、小坂将監殿」とある。梶並六家の一つで、後世、西谷小坂村・豊田庄久常村などの庄屋にこの氏がある。また河原村諏訪社の棟札に「藤原朝臣 小坂七右衛門真重」という人が見える。 『美作名門集』に「小○筑後守頼資は保元の乱で新院に○し、作州勝田郡豊田の庄に配流された。頼資の九代の孫・弾正左衛門尉在正に至り、永享年中に梶並の庄小坂を領して氏とした。在正の四世の孫・小坂佐就の長男・与太郎正就(三男の奥三郎の長男・長房の子孫は久米郡神目村にいる)の孫・良房の子である小坂将監忠房は赤松氏に仕え、その子・小坂武後保長は武功があった。その子・四郎左衛門に至って帰農したもので、子孫は大いに繁延し、豊田・豊並の両村にわたって十数戸を超える」とあるが、詳らかでない。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
小坂ヲサカコサカ和名抄駿河國富士郡に小坂〓あり、平佐加と註す。又但馬國出石郡に小坂〓あり、これも乎佐加と訓ず、同所に式内小坂神社鎭座す。又備中國淺口郡に小坂〓あり、乎佐加と註す。其の他、山陽、攝津、以下小坂の地名頗る多し。その内羽前、羽後の小坂はコサカなり、又中世相摸の鎌倉を小坂郡と呼ぶ、これもコカなるべし。此の氏は此等の地名を負ひしにて二樣の訓あり。なほ忍坂、押坂の裔なるもあらん。 1〓和源氏賴信流大和國式上郡小坂邑より起る。郷士記に「小坂右京進貞喜(源頼信六代義遠の孫)、小坂九郞」等を擧げたり。 2在原姓長谷川黨これも大和の豪族なリ。長谷川黨の一にして、法貴寺氏人なリ。ハセガハ條を見よ。 3藤原姓(小〓氏流)美作國勝北郡梶並庄小坂邑より起る。大永二年十二月十日山名〓堅(忠重)の判書に「小坂筑後守、」文亀三年八月廿三日則久の判書に「豊田四庄社領云々、小坂將監殿」と。梶並六家の一にして、後世西谷小坂村、豐田庄久常村等の庄屋に此の氏あり。又河原村諒訪社の棟札に「藤原朝臣、小坂七右衞門眞重」と云ふ人見ゆ。美作名門集に「小〓筑後守賴資、保元の亂新院に奥し、作州勝田郡豐田の庄に配流せらる。賴資九代の孫彈正左衞門尉在正に至り、永享年中梶並の庄小坂を領し氏と爲す。在正四世の孫小坂佐就の長男與太郞正就(三男奥三郞長男長房の裔、久米郡神目村に在り。)の孫良房の子小坂將監忠房、赤松氏に仕へ、其の子小坂武後保長武功あり。其の子四郞左衞門に至り歸農したるものにして、子孫大に蕃延し、豊田豐並兩村に亘り拾數戶を超ゆ、」とあれど詳かならず。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
小坂と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
小坂に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「小」の字を含む名字
「小坂」で始まる・小坂を含む名字
小坂の字をそのまま含む、より長い名字です。
同じくらいの多さの名字
全国順位が小坂の前後にある名字です。
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