鶴

日野

ひのHino

全国469位 ・ 約4.3万人

日野(ひの/ひむの)は、『和名抄』が信濃国高井郡に日野郷を収めて「比無乃」と読み、高山寺本には賓野に作る。

24件の公開家系図に 24人

基本情報

読み
ひの
ローマ字
Hino
全国順位
全国469位
推計人数
約4.3万人
全国比率
日本人のおよそ0.035%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

日野をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Hino読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「日野」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第5巻 246コマに「家紋鶴丸、松丸、笹丸、藤巴」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 信濃国(長野県)
  • 因幡国(鳥取県)
  • 伯耆国(鳥取県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

日野(ひの/ひむの)は、『和名抄』が信濃国(長野県)高井郡に日野郷を収めて「比無乃」と読み、高山寺本には賓野に作る。次に因幡国(鳥取県)巨濃郡に日野郷がある。次に伯耆国(鳥取県)に日野郡を収めて「比乃」と注記し、郡内に日野郷を載せ、また後に日野新○庄が起こった。 そのほか『和名抄』の尾張国(愛知県)中島郡に日野○があるが、高山寺本が日部○に作るのをよしとする。次に近江国(滋賀県)野洲郡にも日野庄がある(この一文に「甲斐(山梨県)・武蔵(東京都・埼玉県)」の断片が紛れ込む)。また山城(京都府)・伊勢(三重県)・美濃(岐阜県)・上野(群馬県)・○・○などにこの地名がある。……(中略) (山城の日野についての記事)醍醐村の南で、『日本後紀』に「延暦十五年に日野で遊猟した」と見える地である。藤原北家・真夏の子孫がここを伝領地として日野家と称した。法界寺はその建てたものである。 真夏は内麻呂の子で、『尊卑分脈』に「内麻呂(右大将・中衛少将・大宰帥・右衛門督・右大臣・勘解由長官・陰陽頭、従二位。母は従五位下・安倍常丸の女。弘仁三年薨、五十七歳。贈太政大臣。後長岡大臣と号す)―真夏(安房守・武蔵守・中務大輔・中衛少将・右近中将・刑部○・春宮亮・参議、従三位。母は従七位・百済永権の女。ある本には、この記述が正説で、母は正五位下・飛鳥部奈良麿の女という。天長二年、備前権守に左降。同○年薨、五十八歳。山陰道観察使)―浜雄(従五位下、民部少輔。母は三国氏。承和七年七月二十八日卒)」と続くが、 この先は行が入り乱れて系図として読み取れない。末尾に「(内蔵頭、参議。母は息長氏。元慶元年十月四日薨、六十一歳。日野法界寺の草創である)―弘隆(内蔵、阿波守、相模守、日向守、従五位上、大学頭)」といった断片が見える。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

日野ヒノヒムノ和名抄、信濃國高井郡に日野鄰を收め、比無乃と訓じ、高山寺本には賓野に作る。次に因幡國巨濃郡に日野郷あり。次に伯耆國に日野郡を收め、比乃と註し、郡内に日野郷を載せ、又後に日野新印庄起る。その他、和名抄、尾張國中島郡に日野〓あれど、高山寺本·日部〓に作るをよしとす。次に近江國野洲郡にも日甲斐、武蔵、野庄あり。また山城、伊勢、美濃、上野、國前、伊藤等に此の地名存す。……醍醐村の南にして、日本後記、「延曆十五年に日野に遊薦藤原北家眞夏の裔·さと見ゆる地也。此を傳領地として、日野家と稱す。法界寺は其の所建也。眞夏は内麻呂の子にして、尊卑分脈に「内麻呂(右大將、中衞少將、太宰帥、右衞門督、右大臣、勘解由長官、陰陽頭、從二位。母は從五位下安部常丸の女。弘仁三十六薨、五十七、贈太政大臣、後長岡(安房守、武蔵守、大臣と號す)-眞夏中務大甫、中衞少將、右近中將、刑部〓、春宮亮、參議、從三位。母は從七位百濟永權の女、或る本に云ふ、此の儀正說也。母は正五下飛鳥部奈良麿の女。天長二年備前權守に左降、同七十六薨五十八。山陰道觀察使)-濱雄(從五下、女、民部少甫母は三國氏。承和七々廿八卒)(韓藏、頭、左大韓、參議母は息長女。元慶元十四薨、六十一。日野法界寺草創也)-弘隆(文、藏、阿波守、相摸守、日向守、従五上、大學頭、地下。

姓氏家系大辞典 第5巻 243コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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