日下部

くさかべKusakabe

全国940位 ・ 約1.9万人

日下部(くさかべ)は、もと仁徳天皇の皇子・大日下王、若日下王のために設けた御名代部(クサカノ・クサカヘ)で、(この一句は原文の字が崩れて読み取れない)後に天下の…

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基本情報

読み
くさかべ
ローマ字
Kusakabe
全国順位
全国940位
推計人数
約1.9万人
全国比率
日本人のおよそ0.016%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

日下部をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Kusakabe読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 日向国(宮崎県)
  • 河内国(大阪府)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

日下部(くさかべ)は、もと仁徳天皇の皇子・大日下王、若日下王のために設けた御名代部(クサカノ・クサカヘ)で、(この一句は原文の字が崩れて読み取れない)後に天下の大姓となった。また草香部とも、草壁とも記す。 日下部の設置は「古事記」仁徳段に「また大日下王の御名代として大日下部を定め、若日下王の御名代として若日下部を定む」と見える。二王は仁徳帝の皇子で、御母は日向之諸県君牛諸井の女・髪長比売である。河内(大阪府)の日下で成長されたのでその地名を負われ、部名もその地名を負ったのである。 それは雄略段に「天皇は大日下王の妹・若日下部王を娶り給う云々。初め大后が日下に坐したとき、日下の直越道から河内に幸行あらせられる云々」とあることによって容易に知ることができる。 大日下王は安康帝の朝、坂本臣の祖・根使主の讒言によって殺され、その子・目弱王も雄略朝に誅せられて、大日下部という部民はその御妹である若日下王、すなわち雄略皇后に帰したようである。 それは雄略紀十四年条に「根使主は逃れ隠れて(根使主は前に大日下王を讒したが、このとき王の縵の事からその罪悪が露顕したのである)日根に至り、稲城を造って待ち戦い、ついに官軍のために殺された。天皇は有司に命じて子孫を二分し、一分は大草香部の民として皇后(若日下王)に封じ、一分は茅淳県主に賜って負嚢者とした。すなわち難波吉士日香香の子孫を求め、姓を大草香部吉士と賜う」とあることで明白といえよう。 【1】河内の日下部 ― 前述の日下というのは、当国河内郡日下の地である。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

日下部クサカベもと仁德天皇の皇子大日下王、若日下王の爲に設けたる御名代部クサカノ-クサカヘ學者としより發達し、後に天下の大姓となれり。又草香部とも、草壁とも記す。日下部の設置は古事記仁德段に「亦大日下王の御名代と爲して大日下部を定め、若日下王の御名代と爲して、若日下部を定む」と見ゆ。二王は仁德帝の皇子にして、御母は日向之諸縣君牛諸井の女髮長比賣なり。河內日下に成長し給ひしにより其の地名を負ひ給ひ、部名も其の地名を負ひしなり。其は雄略段に「天皇·大日下王の妹·若日下部王を娶り給ふ云々。初め大后の日下に坐せる時、日下の直越道より、河內に幸行あらせらる云々」とあるにより容易に知る事を得べし。大日下王は、安康帝の朝、坂本臣祖根使主の讒により殺され給ひ、其の子目弱王も雄略朝·誅せられて、大日下部と云ふ部民は、其の御妹なる若日下王、卽ち雄略皇后に歸したるが如し。雄略紀十四年條に「根使主·逃れ置れて(根使主は前に大日下王を讒せしが、此の時·王の縵の事より、其の罪惡露顯せしなリ。)日根に至り、稲城を造りて待ち戰ひ、遂に官軍の爲に殺さる。天皇·有司に命じて子孫を二分し、一分は大草香部の民と爲し、以つて皇后(若日下王)に封じ、一分は茅淳縣主に賜ひて負囊者と爲す。卽ち難波吉士日香香の子孫を求め、姓を大草香部吉士と賜ふ」とあるにて明白と云ふべし。 1河内の日下部前述目下と云ふは當國河内郡日下の地なり。

姓氏家系大辞典 第2巻 437コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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