巴

矢部

やべYabe

全国647位 ・ 約3.0万人

矢部(やべ/やはぎべ)は、相模国に矢部別庄(三浦矢部別庄)が見え、また駿河・筑後・肥前・肥後などにこの地名がある。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
やべ
ローマ字
Yabe
全国順位
全国647位
推計人数
約3.0万人
全国比率
日本人のおよそ0.025%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

矢部をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Yabe読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「矢部」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第6巻 293コマに「家紋三頭左巴、五三桐」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 相模国(神奈川県)
  • 駿河国(静岡県)
  • 筑後国(福岡県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

矢部(やべ/やはぎべ)は、相模国(神奈川県)に矢部別庄(三浦矢部別庄)が見え、また駿河(静岡県)・筑後(福岡県)・肥前(佐賀県・長崎県)・肥後(熊本県)などにこの地名がある。 【1】上代の矢部 ― 職業部の一つである。「ヤハギ」の項を参照。……(中略) (このあたりは原文の組版が入り乱れ、「入江の……」「武蔵(東京都・埼玉県)・相模・伊勢(三重県)・志摩(三重県)」「丹党の一つ」「ヤハギの項」などの断片が混じる)「……嫡子・駿河○守○景、次男・維重、これを駿河の工藤と号す。入江・船越・矢部などは維重の支流である」と見える。 一族は『東鑑(吾妻鏡)』巻十六、正治二年正月の条に「矢部平次の手で、源太左衛門尉・平次左衛門尉・狩野兵衛尉、以上三人を討ち取る。矢部小次郎が平三(平七)を討ち取る」とある。「梶原」の項を参照。 また巻五十に矢部平次・馬次郎を載せ、また本国寺文書の日蓮宛の書に矢部七郎が見え、また『後鑑』暦応三年五月に矢部八郎左衛門尉定藤の軍忠状があって「惣領・矢部左衛門尉」を挙げる。 また天文二十三年の今川家条目(矢部氏所蔵)に「駿河国吉原。遣わす者、商人問屋のこと。今度、矢部将監の遺跡に相定める上は、兄弟・親族、そのほかその余の輩がこれを望むといえども許容すべからず。前々のごとく相違あるべからず、云々」とある。 【3】藤原北家堤流 ― 『寛永家伝』には「堤中納言兼輔の後裔」といい、『寛政系譜』には「駿河国有渡郡の矢部から起こった」という。家紋は三頭左巴、五三桐。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

矢部ヤベヤハギペ相摸國に矢部別庄(三浦矢部別庄)·見え、又駿河、筑後、前.肥後等に此の地名存す。 1上代の矢部職業部の一也。ヤハギ條を見よ。……入江艦の中武藏、相摸、伊勢、志摩丹黨の一にしヤハギ條矢田米清の孤寫實,日自一水水嫡子驗河〓守農景、次男維重·是を駿河の工藤と號す。入江、船越、矢部等、維重の支流也」と見ゆ。氏人は東艦卷十六、正治二年正月條に「矢部平次の手に、源太左衞門尉、平次左衞門尉、狩野兵衞尉、巳上三人を討取る。矢部小次郞·平三(平七)を討取る」と、梶原條參照。また卷五十に矢部平次馬次耶を載せ、又本國寺文書、日蓮宛書に矢部七郞·見え、また後鑑曆應三年五月に矢部八郎左衛門尉定藤軍忠狀ありて、「惣領矢部左衞門尉」を擧ぐ。又天文廿三年の今川家條目(矢部氏所藏)に「駿河國吉原。遺者、商人間屋の事、今度矢部將監の遺跡に相定むるの上は、兄弟親族、其の外自餘の輩、之を望むと雖も許容すべからず、前々の如く相違あるべからず云々」と。 3藤原北家堤流寬永家傳には「堤中納言兼輔の後裔」と云ひ、寛政星譜には「駿河國有渡郡矢部より起る」と云ふ。家紋三頭左巴、五三桐。

姓氏家系大辞典 第6巻 293コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ読みの名字

矢部と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

矢部に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が矢部の前後にある名字です。

存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →