矢崎
やざきYazaki
全国1086位 ・ 約1.7万人
矢崎(やざき・やがさき)は、信濃・肥後などにこの地名が見える。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- やざき
- ローマ字
- Yazaki
- 全国順位
- 全国1086位
- 推計人数
- 約1.7万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.014%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
矢崎をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Yazaki読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 信濃国(長野県)
- 肥後国(熊本県)
- 佐渡国(新潟県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
矢崎(やざき・やがさき)は、信濃(長野県)・肥後(熊本県)などにこの地名が見える。 【1】諏訪神家 ― 信州の豪族で、「諏訪系図」に「検行敦家―直家(矢崎神六)」と載せ、一に矢島とも見える。また「矢ヶ崎は、大祝敦光の弟・諏訪次郎○貞の男・真盛を矢ヶ崎神六という」とも言う。 鬼場城(矢ヶ崎村)は、元亀の頃、矢ヶ崎佐渡守晴時、同左衛門重時がおり、後に神沢氏が居城したという。 また「諏訪志料」に「矢崎氏の元祖は諏方大明神から出た。当郡矢崎は古い地名である。その先祖は大祝貞光の男、諏訪二郎○貞の男・貞盛で、矢崎神太という。 また喜水二年に矢崎小四○という人があり、同族の人であろうか。また旧記に『大祝盛信の代、矢崎小四郎、第貞権』とあり、寛正五年の甲州(山梨県)出陣に矢崎上野守、文明十五年に『矢崎肥前守、同対馬守が出陣』、十六年に矢崎○○、その子息の土佐(高知県)、天文十四年に『矢崎和泉守は塩尻嶺の合戦に勲功があった』とある。 また永禄八年四月、神主の矢崎五郎左衛門、同九年に矢崎四郎兵○などが見える。また一説に『矢崎氏の中祖は矢崎准人正である。その系は大己貴命の子・健御名方命の裔から出ている』という。准人正から数代の子孫を民部といい、次に甚五左衛門、その子の蔵人、および刑部という者がある。……(中略) 天正年間、同族の又右衛門・和泉(大阪府)・長蔵は甲州に、勝三郎は佐久郡に、勘右衛門は西山田村に、それぞれ分かれて住んだという。また永禄十年八月の政方五十騎邑請文に矢崎五郎右衛門、また同じ壬午九月十六日、諏訪頼思から鑫原六承に宛てた朱印状に『中村のうち、矢崎与五右衛門分三貫文』とある」。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
矢崎ヤザキヤガサキ信濃、肥後等に此の地名見ゆ。 1諏訪神家信州の豪族にして、諏訪系圖に「檢行敦家-直家(矢崎神六)」と載せ、一に矢島と見え、又「矢ヶ崎は大祝敦光の弟諏訪次郞〓貞の男眞盛を矢ヶ崎神六」と云ふと。而して鬼場城(矢ヶ崎村は、元層の頃矢ヶ崎佐渡守晴時、同左衞門重時·居り、後神澤氏·居城すと。又諏訪志料に『矢崎氏·元祖は諏方大明神より出づ。當郡矢崎に古き地名なり。其の先は大視貞光·安男諏訪二郞〓貞の男貞盛·矢崎神太と云ふ。又喜水二年に矢崎小四〓と云ふ人あり、同族の人なるか。又舊記に「大祝盛信の代、矢崎小四郞、第貞權」、寛正五年甲州出陣に矢崎上野守、文明十五年に「矢崎肥前守、同對馬守·出陣」、十六年に矢崎痛鬱、同子息土佐、天文十四年に「矢崎和泉守は鹽尻嶺合戰に勳功あり」と。又永祿八年四月、神主矢崎の五郎左衞門、同九年に矢崎四郞兵斷等見ゆ。又一說に「矢崎氏の中祖は矢崎準人正也。其の系は大己貴命の子健御名方命の裔に出づ」と。準人數代の胤を民部と云ふ、次に甚五左衞門、其の子蔵人、及び刑部と云ふものあり。……天正中、同族又右衞門、和泉、長藏は甲州に、勝三郞は佐久郡に、勘右衞門は西山田村に各々分居すと。又永祿十年八月の政方五十騎邑請文に矢崎五郞右衞門、又同壬午九月十六日、諏訪賴思より鑫原六承に宛てたる朱印狀に「中村の内、矢崎與五右衞門分參貫文」と。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ漢字を使う名字
矢崎に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「矢」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が矢崎の前後にある名字です。
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