十文字

矢田

やだYada

全国764位 ・ 約2.5万人

矢田(やた)は、『和名抄』が大和国添下郡に矢田郷を収め、『延喜式』に「矢田坐久志玉比古神社二座」を載せる。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
やだ
ローマ字
Yada
全国順位
全国764位
推計人数
約2.5万人
全国比率
日本人のおよそ0.021%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

矢田をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Yada読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「矢田」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第6巻 274コマに「家紋六葉抱爽荷、十文字、三矢文字」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 大和国(奈良県)
  • 河内国(大阪府)
  • 肥前国(佐賀県・長崎県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

矢田(やた)は、『和名抄』が大和国(奈良県)添下郡に矢田郷を収め、『延喜式』に「矢田坐久志玉比古神社二座」を載せる。後世、南行にあり、永享三年の奉書案にも見える。(このあたりは原文の組版が入り乱れ、「武内宿禰の裔である」「応神帝の御裔である」「肥前国(佐賀県・長崎県)養父郡に屋田○」といった別項の断片が混じる) 次に河内国(大阪府)丹比郡に矢田庄があり、石清水の延久四年九月五日文書に「壱処、字は矢田庄、丹比郡」と載せる。次に伊豆国(静岡県)田方郡に矢田郷(三島の康安二年文書)が見え、また上総国(千葉県)に矢田庄(姉泉寺の長禄の鐘銘に矢田○)、丹波国(京都府・兵庫県)桑田郡・何鹿郡などにもこの庄名があり、東寺の天元二年文書に「丹波国矢田荘」が見える。 そのほか河内・伊勢(三重県)・尾張(愛知県)・三河(愛知県)・上総・上野(群馬県)・磐城(福島県・宮城県)・能登(石川県)・越後(新潟県)・但馬(兵庫県)・出雲(島根県)・播磨(兵庫県)・備前(岡山県)・備中(岡山県)・紀伊(和歌山県)などにこの地名がある。なお前後の数項および「ハタ」「ハツタ」の項を参照。 【1】矢田朝臣 ― 波多氏の一族か。天平十年の駿河国(静岡県)正税帳に「同司守・従六位上矢田朝臣黒麻呂」という者を載せる。あるいはこの国の益頭郡八田郷(夜太)と関係があるか。 【2】物部姓 ― 『国造本紀』末羅国造の条に「大水口足尼の孫・矢田稲吉を国造に定める」とある。なお第七項を参照。また「松浦」の項を参照。 【3】藤原姓 ― 長州(山口県)の豪族で、『海東諸国記』に「忠重は丁亥の年に使いを遣わして来り、舎利分身を賀し、書して赤間関大守・矢田藤原朝臣忠重と称した」と載せる。 【4】大内氏族 ― 大内系図に「大内弘貞―弘家(矢田太郎、大宮と号す。法名は月浄)―重弘(周防権介)」と見える。「大内」の項に詳しい。 【5】安芸(広島県) ― 『安西軍策』にこの国の国侍として矢田を載せ、『芸藩通志』世羅郡の条に「上野山は宇賀村にある。矢田(一説に矢野)新助の拠った所。天正のころ、長門に移る」という。 【6】山陰 ― 因幡国(鳥取県)勝宿禰神社の永禄八年の棟札に「雲州住 矢田七郎左衛門幸佐」を載せ、また気多郡苑神山城の城主は矢田七郎左衛門と伝えられる(『民談記』)。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

矢田ヤタ和名抄、大和國添下郡に矢田郷を收め、延喜式に「矢田皇久志玉比古神社二座」を載せ、後世、南行にあり、永享三年奉書案にも見ゆ。次に河内武内宿禰の裔也、ハタ條に應神帝の御喬也。ハタ條を肥前、攝肥前図養父郡に屋田圖丹比郡に矢田庄ありて、石清水延久四年九月五日文書に「壹處字矢田庄、丹比郡」と載せたり。次に伊豆国田方郡に矢田郷(三島康安二年文書)見え、又上總國に矢田庄(姉泉寺長祿鐘舘に矢田〓)、丹波国桑田郡、何鹿君等にも此の庄名ありて、東寺天元二年文書に、「丹波國矢田莊」見ゆ。その他、河内、伊勢、尾張、三角、上總、上野、磐城.能登、越後、但馬、出雲、播磨、備前、備中、紀伊等に此の地名あり。其の他、前後數條、及びハタ、ハツタ條參照。 1矢田朝臣波多氏の族か。天平十年の駿河國正稅帳に「同司守從六位上矢田朝臣黒麻呂」なる者を載せたり。或は當國益頭郡八田郷(夜太)と関係あるか。 2物部姓國造本紀、末羅國造條に「大水口足尼の孫矢田稻吉を國造に定む」と。なほ第七項を見よ。又松浦條參照。 3藤原姓長州の豪族にして、海東諸國記に「忠重、丁亥年、使を遣はし、來りて舍利分身を賀し、書して赤間関大守矢田藤原朝臣忠重と稱す」と載せたり。 4大内氏族大内系圖に「大内弘貞-弘家(矢田太郎、號大宮、法名月淨〕-重弘(周防權分)」と見ゆ、大内條に詳か也。 5安四軍策に當國の固侍矢田をせ、藤藩通志、世羅郡條に「上野山は字賀村にあり。矢田(一に矢野)新助の據る所、天正頃、長門に徒る」と云ふ。 6山陰因幡國勝宿禰神社永祿八年棟札に「雲州住矢田七郞左衞門幸佐」を載せ、又氣多郡苑神山城々主は矢田七郞左衞門と傳へらる(民談記)。

姓氏家系大辞典 第6巻 274コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ読みの名字

矢田と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

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「矢田」で始まる・矢田を含む名字

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