丸に剣梅鉢

小松

こまつKomatsu

全国107位 ・ 約17万人

小松(こまつ/おまつ)は、『和名抄』の遠江国佐野郡に小松○があり「古萬都」と注記する。

1件の公開家系図に 1人

基本情報

読み
こまつ
ローマ字
Komatsu
全国順位
全国107位
推計人数
約17万人
全国比率
日本人のおよそ0.14%
県内ベスト5
高知県(3位)
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

多い都道府県

「小松」が県内ベスト5に入っている都道府県です。色の濃さは県内の占率を表します(ベスト5に入らない県は、数字が公表されていないため無色です)。

北海道青森岩手宮城秋田山形福島茨城栃木群馬埼玉千葉東京神奈川新潟富山石川福井山梨長野岐阜静岡愛知三重滋賀京都大阪兵庫奈良和歌山鳥取島根岡山広島山口徳島香川愛媛高知福岡佐賀長崎熊本大分宮崎鹿児島沖縄
  • 〜1%
  • 1〜1.5%
  • 1.5〜2%
  • 2〜3%
  • 3%〜
  • データなし
県ごとの数字を見る
都道府県県内順位占率
高知県3位1.58%
都道府県別データについて

都道府県別の順位・占率は、明治安田生命「全国同姓調査」(2018年8月8日発表、同社の契約者約655万人が母集団)で公表されたベスト5です。国勢調査ではないため、実際の県内人数の順位とは異なることがあります。 調査結果(PDF)を見る →

ローマ字で書くと

小松をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Komatsu読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「小松」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第3巻 59コマに「家紋は三葢松、丸に劔梅鉢、窠に三蓋松、梅鉢」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 遠江国(静岡県)
  • 近江国(滋賀県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

小松(こまつ/おまつ)は、『和名抄』の遠江国(静岡県)佐野郡に小松○があり「古萬都」と注記する。また摂津国(大阪府・兵庫県)武庫郡に小松荘があり、『東鑑(吾妻鏡)』巻十二、建久三年十二月十四日の条に「武庫御厨小松庄」とある。東寺の正和二年文書には「七条院領」とある。また近江国(滋賀県)滋賀郡に小松庄があり、康正二年の造内裏段銭引付に「聖護院門跡領、志賀郡小松庄」と見える。 ……(中略)小松氏はこれらの地名を名乗ったもので、平重盛(小松内府)に結び付けるのは誤りである。 【1】小松宮 ― 京都西郊、葛野郡御室の地はもと小松といったらしい。仁和寺を開かれた光孝天皇を小松帝と申し上げるのも、この地名を負われたものかと考えられる。明治のはじめ、仁和寺門跡の純仁法親王が還俗されて伏見宮に戻り、東伏見と称し、のちに小松宮と改められたのも、かつての住まいにちなまれたものだろう。 皇室系譜に次のようにある。「小松宮第一代彰仁親王。邦家親王の第八王子、母は家女房堀内信子。弘化三年三月十六日誕生、豊宮と称する。嘉永元年正月二十七日に仁和寺を相続し、同年四月五日に仁孝天皇の養子となられた。安政五年三月二十三日に嘉彰の名を賜り、同月二十七日に親王となる。同年九月二十五日に仁和寺に入って落飾し、法名は純仁。慶応三年十二月九日に還俗、同月十六日に名を嘉彰に復した。明治元年三月十七日に元服、二年七月に兵部卿、三年二月一日に東伏見宮と称された。十五年十二月七日に大勲位に叙され、同月二十八日にあらためて小松宮と称し、名を彰仁と改めた。三十一年一月二十日には特に元帥の称号を賜り、三十六年二月十八日に薨去、五十八歳」。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

小松コマツヲマツ和名抄、遠江國佐野郡に小松〓ありて古萬都と註し、又は單國武庫郡に小松莊あり、東鋸卷十二、建久三年十二月十四日條に「武庫御厨小松庄。」東寺正和二年文書に「七條院領、」と。又近江國滋賀郡に小松庄あり、康正二年造內裏段錢引付に「聖護院門跡領、志賀郡小松庄」と見ゆ。……小松氏は此等の地名を負ひしにて、小松内府に附會するは非也。 1小松宮洛西葛野郡御室の地はもと小松と曰ひしが如し。面して仁和寺の御開創、光孝天皇を小松帝と申し奉るも此の地名を負ひ給ひしものかと考へらる。明治の初め、仁和寺門跡·純仁法親王復飾し給ひて、伏見宮に歸し、東伏見と稱し、又小松宮と改めたまふも、舊住に緣み給ひしなるべし。皇室系譜に「小松宮第一代彰仁親王。邦家親王の第八王子、母は家女房堀内信子。弘化三年三月十六日誕生、豐宮と稱し、嘉永元年正月二十七日、仁和寺を相續、同年四月五日、仁孝天皇の養子と爲り給ひ、安政五年三月二十三日、名を嘉彰と賜ふ。同月二十七日、親王と爲リ、同年九月二十五日、仁和寺に入リ落鎭、法名純仁。慶應三年十二月九日復飾、同月十六日、名嘉彰に復し、明治元年三月十七日元服、圓二年七月兵部卿、同三年二月一日東伏見宮と稱し給ひ、同十五年十二日七日大勳位に叙し、同月二十八日改めて小松宮と稱し、名を彰仁と改め、同三十一年一月二十日、特に元帥の稱號を賜ひ、同三十六年二月十八日薨、五十八歲」と。

姓氏家系大辞典 第3巻 58コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

この名字の人々

同じ読みの名字

小松と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

小松に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

「小松」で始まる・小松を含む名字

小松の字をそのまま含む、より長い名字です。

同じくらいの多さの名字

全国順位が小松の前後にある名字です。

存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →