丸に橘

浜田

はまだHamada

全国113位 ・ 約17万人

浜田(はまだ)は、『和名抄』の相模国高座郡に駅家○があり、『延喜式』の浜田駅にあたる。

1件の公開家系図に 1人

基本情報

読み
はまだ
ローマ字
Hamada
全国順位
全国113位
推計人数
約17万人
全国比率
日本人のおよそ0.13%
県内ベスト5
高知県(4位)、鹿児島県(5位)
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

多い都道府県

「浜田」が県内ベスト5に入っている都道府県です。色の濃さは県内の占率を表します(ベスト5に入らない県は、数字が公表されていないため無色です)。

北海道青森岩手宮城秋田山形福島茨城栃木群馬埼玉千葉東京神奈川新潟富山石川福井山梨長野岐阜静岡愛知三重滋賀京都大阪兵庫奈良和歌山鳥取島根岡山広島山口徳島香川愛媛高知福岡佐賀長崎熊本大分宮崎鹿児島沖縄
  • 〜1%
  • 1〜1.5%
  • 1.5〜2%
  • 2〜3%
  • 3%〜
  • データなし
県ごとの数字を見る
都道府県県内順位占率
高知県4位1.32%
鹿児島県5位0.64%
都道府県別データについて

都道府県別の順位・占率は、明治安田生命「全国同姓調査」(2018年8月8日発表、同社の契約者約655万人が母集団)で公表されたベスト5です。国勢調査ではないため、実際の県内人数の順位とは異なることがあります。 調査結果(PDF)を見る →

ローマ字で書くと

浜田をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Hamada読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「浜田」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第5巻 150コマに「家紋丸に田文字、丸に橘」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 相模国(神奈川県)
  • 摂津国(大阪府・兵庫県)
  • 武蔵国(東京都・埼玉県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

浜田(はまだ)は、『和名抄』の相模国(神奈川県)高座郡に駅家○があり、『延喜式』の浜田駅にあたる。そのほか摂津国(大阪府・兵庫県)に浜田庄があり、伊勢(三重県)・武蔵(東京都・埼玉県)・常陸(茨城県)・上野(群馬県)・陸中(岩手県・秋田県)・羽前(山形県)・羽後(秋田県)・石見(島根県)などにこの地名が多い。 【1】秀郷流藤原姓田原氏族 ― 伊勢の豪族で、三重郡の浜田邑から起こった。田原又太郎忠広の子孫である。「タハラ」「赤堀」「羽津」などの項に詳しい。美作守忠秀(陽林院東渓春公)を祖とし、その子が紀伊守藤綱、その子が遠江守元綱(一に宗武)、その子が重綱(宗治)である。四日市の建福寺に位牌がある。重綱は天正十二年五月、加賀野井の合戦で死んだ。『太閤記』『家忠日記』『秀吉譜』などに見える。 その居城の浜田城について、『名勝志』に次のようにある。「浜田村字堀之内、田の中の小丘である。老樹が茂り、土塁の跡がわずかに残る。中央に小さな社を置く。応永のころ(一に文明二年)、同郡赤堀城主・田原景信の三男忠秀が城を築いて代々ここに住んだ。このとき今の四日市宿を開き、街道を付け替えたという。浜田殿と称して北畠氏に属した。孫の元綱(一に宗武)に至って織田信長に攻められ、天正三年(一に四年)六月に元綱は自殺し、子の重綱(一に宗治)ら一族は逃亡して城は落ちた。あるいは、天正十二年五月の美濃加賀井の役で戦死したともいう。十二年の長島一揆のとき、蒲生氏○がここに陣を置いた。元綱の墓碑は鈴鹿郡山本村字本○垣内にある」(『勢陽国誌』『堀木氏系譜』『三国地誌』『五鈴遺響』)。また鈴鹿郡山本にも浜田殿がある。「ムラヲ」の項を参照。 【2】荒木田姓 ― 伊勢内宮の社家で、風日祈社の内人である。 【3】摂津の浜田氏 ― 武庫郡の浜田荘から起こった。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

濱田ハマダ和名抄、相摸國高座郡に驛家〓あり、延喜式の濱田驛に當る。その他、攝津國に、濱田庄、また伊勢、武藏、常陸、上野、陸中、羽前、羽後、石見等、此の地名多し。 1秀〓流藤原姓田原氏族。伊勢の豪族にして、三重郡濱田邑より起る。田原又太郞忠廣の後也。タハラ、赤堀、羽津等の條に詳か也。美作守忠秀(陽林院東溪春公)を祖とし、その子紀伊守藤綱、その子遠江守元綱(一に宗武)、その子重綱(宗治)也.四日市建福寺に位牌あり。重綱·天正十二年五月、加賀野井合戰に死す、太闇記、家忠日記、秀吉譜等に見えたり。その居城濱田城は、名勝志に「濱田村字堀之内田圓中の小丘たり。老樹著響、土蟲の址·僅に存す。中央に小社を實く。應永の頃(一に文明二年)、本郡赤堀城主田原景信の三男忠秀·城を築きて歷世之に居る。此の時、今の四日市驛を開き、街道を改め遣りしと云ふ。濱田殿と稱して北畠氏に屬す。孫元綱(一に宗武)に至織田信長の爲めに攻められ、天正三年(一に四年)六月、元綱自殺し、男重綱(一に宗治)等一族逃亡して城陷る。或は云ふ、天正十二年五月、美濃加賀井の役に戰死すと。十二年長島一撰の時、蒲生氏〓之に陣す。元綱の墓碑は鈴鹿郡山本村字本〓垣内に在り」(背書國誌、堀木氏系譜、三國地誌、五鈴遺警)と又鈴鹿郡山本に濱田殿あり、ムラヲ條參照2荒木田姓伊勢內宮の社家にして、風日祈社内人たり。 3攝津の濱田氏武庫郡濱田荘より起る。

姓氏家系大辞典 第5巻 149コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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浜田と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

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