北村
きたむらKitamura
全国116位 ・ 約16万人
北村(きたむら)は、近江・○幡・美作などにこの地名がある。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- きたむら
- ローマ字
- Kitamura
- 全国順位
- 全国116位
- 推計人数
- 約16万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.13%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
北村をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Kitamura読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「北村」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
『姓氏家系大辞典』第2巻 379コマに「家紋三頭右巴、丸內二引」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 近江国(滋賀県)
- 美作国(岡山県)
- 丹波国(京都府・兵庫県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
北村(きたむら)は、近江(滋賀県)・○幡・美作(岡山県)などにこの地名がある。そのほか、位置から北村と呼ぶ村の名は諸国に多いだろう。それらの地名を名乗ったことは想像に難くない。 【1】桓武平氏柘植氏族 ― 江戸系図に「柘植弥平兵衛尉宗○の子・某(北村を称する)」とある。柘植系図も同じ。家紋は三頭右巴、丸の内二引。 【2】清和源氏大館氏流 ― 近江国高島郡の北村から起こったという。清和源氏大館氏の一族だという。……また佐々木氏の一族という北村氏があり、その異同ははっきりしない。家紋は井筒。次項も参照。 【3】藤原姓 ― 近江国野洲郡の北村から起こった。藤原氏だという。歌学者の北村季吟はこの地の人ともいい、祖父を北村宗三郎宗龍、父を三本木……(この部分は原文の行が崩れていて読み取れない) 【4】佐々木氏流 ― 高島高信の子孫だという。 【5】丹波(京都府・兵庫県)の北村氏 ― 天田郡にある。近江の野洲郡から起こったという。『丹波志』に「北村氏の子孫は筈巻村の庄屋の家である。帯刀。本国は近江」とある。 【6】息長姓 ― 摂津国(大阪府・兵庫県)住吉郡喜連村の名家である。家に家記を蔵しており、太古から仁徳天皇の御代までは若沼毛二俣王、それ以後、醍醐天皇の延喜十○年までは息長真若麻呂、それ以後、後小松天皇の応永十九年までは北村治良麻呂の筆だという。 それによれば、この氏は「建御雷男命から出た。その孫が建大々杼命、その子が建彦命、その子孫の大々杼彦仁が神武天皇の代に大々杼の姓を賜った。その子孫の大々杼名黒(崇神の代)、同じく黒城(仲哀の代)に嗣子がなく、日本武尊の子・息長田別王をその娘の黒媛にめあわせて杭俣長日子王をもうけた。これより息長の姓を賜った。その子孫に、後醍醐天皇の朝廷で息長北村があった。その子・息長治良麻呂が父の名を氏として北村氏という」と載せている。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
北村キタムラ近江、固幡、美作等に此の地名あり。其の他、其の位置より北村と稱する邑名は諸國に多かるべし。それ等の地名を負ひしや想像するに難からず。 1桓武平氏柘植氏族江戶系圖に「柘植彌平兵衞尉宗〓の子某(北村を稱す)。」と。柘植系圖も、これに同じ。家紋三頭右巴、丸內二引。 2〓和源氏大館氏流近江國高島郡北村より起ると云ふ。〓和源氏大館氏の族なりと。……また佐々木氏の族と云ふ北村氏あり、其の異同を詳かにせず。家紋井筒。猶ほ次項を見よ。 3藤原姓近江國野洲郡北村よリ起る。藤原氏也と。歌學者季吟は此の地の人とも云ひ、祖父を北村宗三郞宗龍、父を三本木田見氏に同じ、武家系前條氏に同じ。……4佐々木氏流高島高信の後なりしと云ふ。 5丹波の北村氏天田郡にあり。近江野洲郡より起ると云ふ。丹波志に「北村氏·子孫は筈卷村、庄屋の家也。帶刀。本國近江」とあり。 6息長姓攝津國住吉郡喜連村の名家なリ。家に家記を藏す、太古より仁德天皇の御字迄は若沼毛二俣王、それ以後、醍關天皇の延喜十士年迄は息長眞若麻呂、それ以後、後小松天皇の應永十九年迄は北村治良麻呂の筆なりと云ふ。それによれば此の氏は「建御雷男命より出づ。其の孫建大々杼命、其の子建彥命、其の裔大々杼彥仁·神武代に大々杼の姓を賜ふ。其の裔大々杼名黑(崇神代)、同黑城(仲哀代)嗣子なく、日本武尊の子息長田別王を、其の女黑媛に配し奉り、杭俣長日子王を擧ぐ、これより息長の姓を賜ふ。其の裔·後醍醐天皇の朝、息長北村あり。其の子息長治良麻呂·父の名を氏として北村氏と云ふ」と載せたり。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
北村と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
北村に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「北」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が北村の前後にある名字です。
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