北川
きたがわKitagawa
全国209位 ・ 約10万人
北川(きたかわ)は、越後・日向などにこの地名がある。
3件の公開家系図に 1人
基本情報
- 読み
- きたがわ
- ローマ字
- Kitagawa
- 全国順位
- 全国209位
- 推計人数
- 約10万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.083%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
北川をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Kitagawa読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 越後国(新潟県)
- 日向国(宮崎県)
- 近江国(滋賀県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
北川(きたかわ)は、越後(新潟県)・日向(宮崎県)などにこの地名がある。 【1】蒲生氏流 ― 近江国(滋賀県)蒲生郡の豪族で、蒲生氏の一族だろうという。元亨四年に池源内左衛門入道観智がある(郡史)。のちに蒲生氏○の家臣に北川平左衛門が見える。奥州(東北地方)津川城主で、七千三百石を領した。 また『新編会津風土記』会津郡田島鳴山城趾の条に「蒲生氏の○、北川平左衛門某をここに置き、上杉氏のときは小国但馬某が住み、蒲生氏が再び封じられた後は蒲生主計某という者がいた」と見える。また狐戻塁の条に「天正十八年から蒲生氏の臣・北川土佐某が拠った」とある。 【2】藤原北家姉小路流 ― 丹波多紀郡の豪族で、その系図に……
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
北川キタカハ越後、日向等に此の地名あり。 1蒲生氏流近江國蒲生郡の豪族にして蒲生氏の一族ならんと。元亨四年、池源內左衞門入道觀智あり(郡史)。後蒲生氏〓家臣に北川平左衞門見ゆ。奥州津川城主にして、七千三百石を領す。又會津風土記、會津郡田島鳴山城趾條に「蒲生氏の麺、北川平左衞門某を此にをき、上杉氏の時、小國但馬某住し、蒲生氏再封の後、蒲生主計某と云ふ者居れり」と見ゆ。又狐戻壘條に「天正十八年より蒲生氏の臣北川土佐某據る」とあり。 2藤原北家姉小路流丹波多紀郡の豪族にして、其の系圖に……
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
この名字の人々
同じ読みの名字
北川と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
北川に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「北」の字を含む名字
「北川」で始まる・北川を含む名字
北川の字をそのまま含む、より長い名字です。
同じくらいの多さの名字
全国順位が北川の前後にある名字です。
存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →
