北田

きただKitada

全国722位 ・ 約2.7万人

北田(きただ)は、【1】桓武平氏三浦氏流 ― 岩代国河沼郡の北田村から起こった。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
きただ
ローマ字
Kitada
全国順位
全国722位
推計人数
約2.7万人
全国比率
日本人のおよそ0.022%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

北田をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Kitada読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 岩代国(福島県)
  • 陸奥国(東北地方)
  • 遠江国(静岡県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

北田(きただ)は、【1】桓武平氏三浦氏流 ― 岩代国(福島県)河沼郡の北田村から起こった。佐原盛連の二男・広盛が北田にいて北田次郎と称した。……(中略)家紋は六○。『中興系図』に「北田。平氏、本国は陸奥(東北地方)、蘆名義連の末。次郎広盛がこれを称した」と見える。 『新編会津風土記』北田村の館址の条に「北田次郎広盛の住所だという。広盛は遠江守盛連の二男である。三浦泰村が叛いた時、宝治元年六月、兄弟らとともに左親衛時頼の邸に集まったことが『東鑑』に見える。その子孫がこの所に住んだと見えるが、世系や履歴を考える手がかりはない。 康暦元年、この地に合戦があって蘆名氏の者が討死したことが『旧事雑考』に見えるが、詳しいことは分からない。 塔寺村八幡宮の長帳に『応永十六年六月三日、北田の巌城が落ち終わる。この時の打死は(ここに別項「キタカド」の断片 ―「『尊卑分脈』に近衛と見える。愛宕郡の『キタカド』の項で述べた。土佐(高知県)の名族である」― が紛れ込む)上総殿父子三人、兵庫殿父子二人、弟の善七郎殿、彼原究殿、伊勢殿、二平殿』とあるが、誰のために滅ぼされたということを載せない。『旧事雑考』がある説を引いて応永十七年のこととするのは誤りである」などと見える。 耶麻郡半在家村に旧家・原平次郎がある。「この村の肝煎で、佐原義連の孫・北田次郎広盛の後胤だという。広盛の子孫は応永年中まで河沼郡北田に住んだが、同十七年に新宮氏のために滅ぼされ、その氏族の小市郎盛連は幼少で横田の山内氏に頼った。長ずるに及んで山内の臣・岩橋某に養われ、岩橋氏と改めた。その孫・太郎左衛門盛国は山内氏勝の将として伊達政宗を防いで功があった……(この先は引用が閉じないまま途切れている)

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

北田キタダ1桓武平氏三浦氏流岩代國河沼郡北田村より起る。佐原盛連の二男廣盛·北田にありて北田次郞と稱す。……家紋六問。喜中製薬「北田、平、本國陸奥、芦名義連末、次郎廣盛·稱之」と見ゆ。新編會津風土記、北田村館述條に「北田次郞廣盛が住所なりと云ふ。廣盛は遠江守盛連が二男なり。三浦秦村が叛きし時、寶治元年六月·兄弟讀共に、左親衛時賴が第に集りしよし東鑑に見ゆ。其の子孫·此所に住せしと見ゆれども、世系履歷考ふべき便なし。康曆元年、此の地に合戰ありて、葦名氏の者討死せしよし、舊事雜考に見ゆれども、詳なることを知らず。塔寺村八幡宮長帳に『應永十六年六月三日、北田嚴城落畢る。此の時打死、尊卑分脈に「近衞と見ゆ。愛宕郡のキタカド條に云へり。土佐の名族なり。上總殿父子三人、兵庫殿父子二人、弟善七郞殿、彼原究殿、伊勢殿、二平殿』とあれども、誰人の爲に亡されしと云ふ事を載せず。舊事雜考に、或る說を引きて應永十七年の事とするは非なり、」など見ゆ。耶磨郡半在家村に舊家原平次郞あり。「此の村の肝煎にして、佐原義連の孫北田次郞廣盛が後胤なりとぞ。廣盛が子孫·應永中まで河沼郡北田に住せしが、同十七年新宮氏の爲に減され、其の氏族·小市郞盛連、幼少にして横田の山内氏に因れり。長ずるに及んで、山内の臣岩橋某に養はれ、岩橋氏と改む。其の孫太郞左衞門盛國、山內氏勝が將として、伊達政宗を防ぎて功あり。

姓氏家系大辞典 第2巻 373コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ読みの名字

北田と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

北田に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が北田の前後にある名字です。

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