丸に鷹の羽

布施

ふせFuse

全国717位 ・ 約2.7万人

布施(ふせ)は、美作に布施○がある。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
ふせ
ローマ字
Fuse
全国順位
全国717位
推計人数
約2.7万人
全国比率
日本人のおよそ0.022%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

布施をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Fuse読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「布施」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第5巻 326コマに「家紋丸に打違鷹の羽、五三桐」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 美作国(岡山県)
  • 河内国(大阪府)
  • 甲斐国(山梨県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

布施(ふせ)は、美作(岡山県)に布施○がある。前の項を参照。そのほか河内国(大阪府)渋川郡、甲斐(山梨県)、播磨(兵庫県)に布施庄、また信濃(長野県)に北布施本庄がある。なお前の数項と通じる。 【1】応神帝の子孫 ― 大和国(奈良県)葛下郡の豪族で、応神皇子・大山守命の後裔とも、平城帝の子孫である在原氏の一族とも伝えられるが、おそらく古代の布勢君の子孫だろう。前の項および「太田」の項を参照。 一族は三輪越氏文書に布施太郎英秀を載せ、至徳年間の大和武士交名に布施殿、その後、春日文書、応永十四年五月の平田御庄の庄官連署に布施行忠が見える。すなわち平田党の一つであった。 その後、享徳のころ、布施某が大乗院領のこの郡の尺土庄の下司職を帯び(同院の段銭日記)、文正年中の畠山の乱では、筒井・箸尾・高田とともに足利氏のために畠山義就の党である越智・吐田・小泉・万財・岡と戦い、ついに利を失って没落したことが尋尊僧正の文正元年記に見える。 次いで永正年中、安芸守行国はこの国の国判衆の一人として国務に署判し(興福寺英俊法印記)、その子・弥七郎某は南今市の現徳寺の本願である(寺伝)。また元亀年中に左京進行盛がある(浄願寺伝)。また太郎左衛門春行は筒井の幕下に属し、後に豊臣氏に仕え、大坂の役に姪の春次とともにその城中に入ったという。 『国民郷士記』に「布施家(応神天皇の皇子・大山守意我が布施の祖である。また平城天皇の後、定基の末ともいう)。布施出羽(寺口村に城跡がある。本は北条家に仕える)、布施下野守英基、布施中務少輔行成、布施弥七○国(享保年中)、布施左衛門八郎、布施左京亮行盛、布施安芸守、布施但馬守運秀、布施主水正、来迎院(布施氏)、布施新助重秀、布施平右衛門、布施治郎左衛門、布施藤九郎、 布施太郎右衛門春行(筒井順慶の幕下で数度手柄を顕わす。大和大納言秀長に仕え、慶長二十年には大坂に籠城する)、布施治那八慶春、布施小太郎春次(定次に従って伊州へ越し、後に中の坊と一緒に上野(群馬県)を立ち退き、大和に帰って伯父の春行と一緒になり、これも慶長には大坂に籠城)」とある。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

布施フセ美作に布施〓あり、前條を見よ。その他、河内國澁川郡、甲斐、播磨に布施庄、また信濃に北布施本庄あり。猶ほ前數條と通ず。 1應神帝裔大和國葛下郡の豪族にして、應神皇子大山守命の後裔とも、平城帝裔在原氏の族とも傳へらるゝも、蓋し古代布勢君の裔ならん。前條、及び太田條參贖氏人は三輪越氏文書に布施太郞英秀を載せ、至德年間の大和武士交名に布施殿、その後、春日文書、應永十四年五月の平田御庄庄官連署に布施行忠·見ゆ。卽ち平田黨の一たりし也後その後享德の頃、布施某·大乘院領本郡尺土庄の下司職を帶び(同院段錢日記)、文正中畠山の亂に、筒井、箸尾、高田と共に、足利氏の爲に畠山義就の黨·越智、吐田、小泉、萬財、岡と戰ひ、終に利を失ひ沒落せしこと、尋尊曾正文正元年記に見ゆ。次いで永正中、安藝守行國は當國々判衆の一として國務に署判し(興福寺英俊法印記)、其の子彌七郞某は南今市現德寺の本願なり(寺傳)。又元亀中に左京進行盛あり(淨願寺傳)、又太郞左衞門春行は筒井の幕下に屬し、後ち豐臣氏に仕ヘ、大坂の役に姪春次と共に其の城中に入りしと云ふ。國民郷士記に「布施家(應神天皇の皇子大山守意我は布施の祖也。亦平城天皇の後、定基の末とも云ふ)。布施出羽(寺口村に城跡有り、本北條家に仕ふ)、布施下野守英基、布施中務少輔行成、布施彌七〓國(享保?年中)、布施左衞門八郞、布施左京亮行盛、布施安藝守、布施但馬守運秀、布施主水正、來迎院(布施氏)、布施新助重秀、布施平右衞門、布施治郞左衞門、布施藤九郞、布施太郞右衛門春行(筒井順慶幕下にて、數度手柄を顯はす〓布施山名條、及び次條大和大納言秀長に仕へ、慶長廿年には大販に籠城す)、布施治那八慶春、布施小太郞春次(定次に從ひ伊州に越し、後中の坊と一所に上野を立退き、大和に歸り、伯父春行と一所に成り、是も慶長には大版に籠城)。

姓氏家系大辞典 第5巻 325コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ読みの名字

布施と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

布施に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

「布施」で始まる・布施を含む名字

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同じくらいの多さの名字

全国順位が布施の前後にある名字です。

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