古賀
こがKoga
全国206位 ・ 約10万人
古賀(こが)は、近江国高島郡に古賀庄がある。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- こが
- ローマ字
- Koga
- 全国順位
- 全国206位
- 推計人数
- 約10万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.084%
- 県内ベスト5
- 佐賀県(3位)、福岡県(4位)
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
多い都道府県
「古賀」が県内ベスト5に入っている都道府県です。色の濃さは県内の占率を表します(ベスト5に入らない県は、数字が公表されていないため無色です)。
- 〜1%
- 1〜1.5%
- 1.5〜2%
- 2〜3%
- 3%〜
- データなし
県ごとの数字を見る
| 都道府県 | 県内順位 | 占率 |
|---|---|---|
| 佐賀県 | 3位 | 1.69% |
| 福岡県 | 4位 | 1% |
都道府県別データについて
都道府県別の順位・占率は、明治安田生命「全国同姓調査」(2018年8月8日発表、同社の契約者約655万人が母集団)で公表されたベスト5です。国勢調査ではないため、実際の県内人数の順位とは異なることがあります。 調査結果(PDF)を見る →
ローマ字で書くと
古賀をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Koga読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「古賀」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
『姓氏家系大辞典』第2巻 564コマに「家紋丸に二重釘拔、三鱗形」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 近江国(滋賀県)
- 筑前国(福岡県)
- 筑後国(福岡県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
古賀(こが)は、近江国(滋賀県)高島郡に古賀庄がある。そのほか筑前(福岡県)・肥前(佐賀県・長崎県)・筑後(福岡県)などにこの地名が非常に多く、「空閑」と通じて用いられる。 【1】漢族劉姓 ― おそらく大蔵姓で、原田氏などと同族だろう。家伝に「先祖は漢の高祖の末裔で○氏であった。初め甲斐国(山梨県)に住み、子孫が筑後国三潴郡の古賀村に移って古賀を称号とした」とある。家紋は丸に二重釘抜き、三鱗形。筑後内宮権現の棟木、大永の筑後大名交名に「古賀殿」、領主付に「古賀某」、高良山三井寺の検地帳に「古賀右近入道、同安芸」、『寛延記』に「御井郡大城村の光蓮寺の開山は、俗名を古賀監物と号する」とある。また古賀庄兵衛・同藤兵衛などがある。 【2】狛姓 ― 『寛政系譜』に「朴(文太郎、弥助)―燕(敬一)・煜・爐」と見える。朴はすなわち古賀精里先生で、曾祖父は忠豊、祖父は和作、父は忠能、代々佐賀藩に仕えた。精里に至って幕府に仕えた。その子の齋は穀堂、次の焜は侗庵、その子が茶渓である。前項の氏と同じだが、『寛政系譜』は狛氏に収める。 ……(中略)【7】伊勢(三重県)の久我氏 ― 一志郡の豪族で、『名勝志』に「天花寺城は堀田邑の山上にある。松の木が茂り、壁と濠の跡が残る。里人が伝えていうには、昔○大納言が城を築いてここに居た。源実朝のとき、久我三郎が居城した(『勢陽国誌』には「文治中、久我二郎の領」と記す)。○享年中、修理大夫という者がここに居り、伊勢の守護・船木光俊を攻めたが利あらず自殺した。その子の○助は北畠政具に仕え、嘉吉元年に同郡曾原の城主となった」とある。「天花寺」の項を参照。 【8】秀郷流藤原姓佐野氏流 ― 次の項を参照。 【9】『東鑑(吾妻鏡)』巻二十一に「こがの三郎」が見える。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
古賀コガ近江國高島郡に古賀庄あり。其の他、筑前、屍前、筑後等、此の地名甚だ多く、空閑と通じ用ひらる。 1漢族劉姓恐らく大藏姓にして、原田等と同族なるべし。家傳に「先祖は漢高祖の苗裔にして割氏たり。始め甲斐國に住す。子孫·筑後國三潴郡古賀村に移り、古賀を稱號とす」と。家紋丸に二重釘拔、三鱗形。筑後内宮權現棟木、大永筑後大名交名に「古賀殿、」領主附に「古賀某、」高良山三井寺檢地帳に「古賀右近入道、同安藝、」寬延記に「御井郡大城村光蓮寺開山は、俗名古賀監物と號す、」と。又古賀庄兵衞、同藤兵衞等あり。 2狛姓寛政系譜に「朴(文太郞、彌助)-燕(敬一)煜-爐」と見ゆ。朴は卽ち古賀精里先生にして、曾祖父忠豐、祖父和作、父忠能、代々佐賀藩に仕ふ。精里に至り、幕府に仕ふ。其の子齋は穀堂、次に焜は侗庵、その子茶溪也。前條氏に同じけれど、寛政系譜、狛氏に收む。……7伊勢の久我氏一志郡の豪族にして、名勝志に「天花寺城は堀田邑の山上にあリ。松樹茂生し、壁濠の址を存す。里人傳へ云ふ、往昔·蘭大納言、城を築き之に居る。源實朝の時、久我三郞·居城す(背書國誌に、『文治中·久氣二郞領』と記す)。水享中、修理大夫なるもの之に居る。本州の守護船木光俊を攻め、利あらずして自殺す。其の子生計助、北畠政具に仕嘉吉元年本郡曾原の城主となる」と。天花寺條參照。 8秀〓流藤原姓佐野氏流次條を見よ。 9東鑑卷二十一に「こがの三郞」見ゆ。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
古賀と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
古賀に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「古」の字を含む名字
「古賀」で始まる・古賀を含む名字
古賀の字をそのまま含む、より長い名字です。
同じくらいの多さの名字
全国順位が古賀の前後にある名字です。
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