志賀
しがShiga
全国551位 ・ 約3.6万人
志賀(しが)は、近江国滋賀郡に志賀庄がある。
1件の公開家系図に 3人
基本情報
- 読み
- しが
- ローマ字
- Shiga
- 全国順位
- 全国551位
- 推計人数
- 約3.6万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.029%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
志賀をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Shiga読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 近江国(滋賀県)
- 尾張国(愛知県)
- 信濃国(長野県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
志賀(しが)は、近江国(滋賀県)滋賀郡に志賀庄がある。『輿地志略』に「土俗の伝えるところである。錦織郷の内で、南志賀があり、北志賀がある。南志賀は正光寺村・新在家村である。北志賀とは見世村・赤塚村である」と見える。また紀伊国(和歌山県)日高郡に志賀荘がある。そのほか尾張(愛知県)・信濃(長野県)・陸前(宮城県・岩手県)・紀伊・筑前(福岡県)・豊後(大分県)などにこの地名がある。 【1】志賀村主 ― 志賀に移り住んだ村主で、本貫は近江国滋賀郡である。『拾芥抄』に見える。……(中略) 【2】志賀史 ― 倭漢・坂上氏の一族で、志賀漢人の史となった者の子孫である。承和四年に蕃良宿禰の姓を賜わった。 【3】志賀忌寸 ― 志賀漢人の一族である大友村主・錦曰佐・穴太村主などが忌寸姓を賜わったもので、延暦六年七月紀に「右京の人、正六位上・大友村主広道、近江国野洲郡の人、正六位上・大友民曰佐龍人、浅井郡の人、従六位上・錦曰佐周興、蒲生郡の人、従八位上・錦曰佐名吉、坂田郡の人、大初位下・穴太村主真広らに、ともに本姓を改めて志賀忌寸と賜う」と載せ、また同十八年三月紀に「近江国浅井郡の人、従七位下・穴太村主真杖に姓を志賀忌寸と賜う」などと見える。 【4】摂津(大阪府・兵庫県)の志賀忌寸 ― 前項の氏と同じく、『姓氏録』摂津諸蕃に「志賀忌寸。後漢の孝献帝から出る」と見える。 【5】毛野氏族の志賀忌寸 ― ○和元年五月紀に「近江国の人、従五位下・志賀忌寸田舎麻呂ら四人に姓を下毛野朝臣と賜う。五十瓊殖(崇神)天皇の皇子・豊城入彦命の苗裔である」と見えるのは、母方の姓などで一時、志賀を称したものか……(このあと原文の行が入り乱れ、別項の記事 ―「永正九年に家を継ぎ、播(磨)の二州の内で食邑若干を領し、摂州西の宮に住んだ。天文二十二年、六十三歳で没した」― が混じる)
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
志賀シガ近江國滋賀郡に志賀庄あり、與地志略に「土俗の傳ふるところとなり。錦織郷の内にて、南志賀あり、北志賀あり、南志賀は正光寺村、新在家村也。北志賀とは、見世村、赤塚村也」と見ゆ。又紀世國日高郡に志賀莊あり。その他、尾張、信濃、陸前、紀伊、筑前、豐後等に此の地名存す。 1志貫村主志賀湧入の村主にて本質近江國滋賀郡也。拾芥抄に見ゆ。……2志賀史倭漢坂上氏の族にて、志賀漢人の史となりし者の後なり。承和四年に、蕃良宿禰姓を賜ふ。 3志賀忌寸志賀漢人の族なる大友村主錦曰佐、穴太村主等の忌寸姓を賜へるものにして、延曆六年七月紀に「右京人正六位上大友村主廣道、近江國野洲郡人正六位上大友民曰佐龍人、淺井郡人從六位上錦曰佐周興、蒲生郡人從八位上錦曰佐名吉、坂田郡人大初位下穴太村主眞廣等、並に本姓を改めて志賀忌寸と賜ふ」と載せ,また同十八年三月紀に「近江國淺井郡人從七位下穴太村主眞杖に、姓を志賀忌寸と賜ふ」など見ゆ。 4攝津の志賀忌寸前項氏に同じく、姓氏錄、攝津諸蕃に「志賀忌寸、後漢孝献帝より出づる也」と見ゆ。 5毛野氏族の志賀忌寸水和元年五月紀に「近江國人從五位下志賀忌寸田舍麻呂等四人に、姓を下毛野朝臣と賜ふ。五十瓊殖(崇神)天皇の皇子豐城入彥命の苗裔也、」と見ゆるは、母姓などにて一時志賀永正九年家を襲ひ、播二州の内にて、食邑若干を頷し、攝州西の宮に住す。天文二十二年、六十三歲にて沒す。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
この名字の人々
同じ読みの名字
志賀と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
志賀に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「志」の字を含む名字
「志賀」で始まる・志賀を含む名字
志賀の字をそのまま含む、より長い名字です。
同じくらいの多さの名字
全国順位が志賀の前後にある名字です。
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