志岐

しきShiki

全国3613位 ・ 約3,460人

志岐(しき)は、「和名抄」肥後国天草郡に志記○があり、後には志岐に作る。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
しき
ローマ字
Shiki
全国順位
全国3613位
推計人数
約3,460人
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

志岐をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Shiki読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 肥後国(熊本県)
  • 志摩国(三重県)
  • 薩摩国(鹿児島県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

志岐(しき)は、「和名抄」肥後国(熊本県)天草郡に志記○があり、後には志岐に作る。この地より起こったのである。 【1】菊池氏族 ― 天草の豪族で、志記○より起こる。相良の洞然長状に「文明十五年、天草より志岐・上津浦・栖本衆来る」(「国志」)とある。……(この先は原文が崩れて読み取れない)……菊池氏の族で、その子を義泉という。「事蹟通考」に「永禄の頃にその系譜は伝わらない。故に称号とする。その家は菊池の庶流である」……(中略)はじめ大友家に属し、中頃は龍造寺家、のちに相良家に従い、後に島津家の旗下となった。天草の五家は皆同じである。 その子・兵部少輔諸経(晴純の五男)は、剃髪して麟泉と号した。天正十五年、実は有馬修理大夫……(この先は原文が崩れて読み取れない)……秀吉に謁し、本領を賜った。十七年、小西行長に反し、志岐城に拠って守った。行長は家の軍を率いてこれを攻めたが、勝てなかった。行長は急を加藤清正に告げた。清正が自ら兵を率いて来て、……(この先は原文が崩れて読み取れない)……麟泉は城を退いたという(その顛末は原文が崩れており判然としない)。 ……(出典の表示は原文が崩れて読み取れない)「志紀郡の志紀郷の百姓・志紀松取の家に生じた橘の樹は、高さわずか二寸余りで、花が咲くと土器に植えてこれを献上した」などと見える。第十八項を参照。……(中略)崇神朝の伝説によれば、後に惣社を氏としたという。……(中略)河内(大阪府)の後世の志貴氏は、元弘・建武の頃(「惣社」の項を参照)、志貴県主の後裔に志貴右衛門尉がある。楠木正成に属し、その老将であった。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

志岐シキ和名抄、肥後國天草郡に志記〓あり、後には志岐に作る、この地より起りし也。 1菊池氏族天草の豪族にして、志記〓より起る。相良の洞然長狀に「文明十五年、天草より志岐、上津浦、栖本衆來る(國志)。此の二人の事は、は志摩守鎭經あり、云々」と菊池氏の族にて、其の子を議泉と云ふ事蹟通考に「藤永祿の頃に其の系譜傳はらず。故に稱號と爲す。其の家は菊地の庶流也。原鎭經。し、始め大友家に屬し、中ごろ龍造寺家、志岐は代々·天草郡志岐を領す、鎭經は兵部少輔と稱相良家に從ひ、後に島津家の旗下と爲る。天草の五家皆同じ。其の子兵部少輔諸經夫晴純の五男也。は刺髪して麟泉と號す。天正十五年、實は有馬修理大秀吉に謁し本領を賜ふ。十七年、小西行長に反し、志岐城に據守す。行長·家軍を率ゐ、往いて之を攻めしが克たず。行長急を加藤清正に告ぐ。〓正自ら兵に將として來リ、て薩摩に赴き、の兵竭き、行長と軍を合せ、力究りて降を乞ひ、其の終る所を知らず」と。麟泉を討つ。城を退き·麟泉六年五月紀に「河內國志紀郡志紀〓の百姓·志紀松取の宅中に生ずる所の橘樹は、其の高さ僅かに二寸餘にして、花·發すれば、土器に殖えて之を進む」など見ゆ。第十八項參照。……て、なり、崇神朝、傳說に據れば、後に惣社を氏とすと云ふ。……るべし。河内後世の志貴氏元弘建武の頃、惣社條參照。志貴縣主の後裔な志貴右衞門尉あリ。楠木正成に屬し、その老將たり。

姓氏家系大辞典 第3巻 234コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

同じ読みの名字

志岐と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

志岐に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。

同じくらいの多さの名字

全国順位が志岐の前後にある名字です。

存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →