栗崎
くりさきKurisaki
全国3596位 ・ 約3,480人
栗崎(くりさき)は、但馬に栗崎荘があり、そのほか武蔵・常陸・羽後などにこの地名が存する。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- くりさき
- ローマ字
- Kurisaki
- 全国順位
- 全国3596位
- 推計人数
- 約3,480人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
栗崎をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Kurisaki読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「栗崎」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
『姓氏家系大辞典』第2巻 522コマに「家紋黑餅にむかふ梅、梅花の七曜」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 但馬国(兵庫県)
- 武蔵国(東京都・埼玉県)
- 羽後国(秋田県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
栗崎(くりさき)は、但馬(兵庫県)に栗崎荘があり、そのほか武蔵(東京都・埼玉県)・常陸(茨城県)・羽後(秋田県)などにこの地名が存する。 【1】桓武平氏大掾氏流 ― 常陸国那珂郡栗崎邑より起こる。……(中略)また貞幹の弟「願仏(同六郎入道)、次に経幹(同四郎)、宣幹(同四郎二郎)、有幹(同五郎二郎)」とある。「大掾系図」には「石川六郎高幹の弟・宗幹(栗崎九郎)」と見える。 「新編国志」には「栗崎は、茨城郡栗崎村より起こる。家幹の九男・宗幹が栗崎九郎と称し、その地頭であった。後に兄・高幹の後を嗣ぎ、さらに石川二郎と称した。五人の子を幹村・貞幹・願仏・経幹・幹量という。幹村に子があり、幹広という(『石川系図』及び文書)。貞幹は栗崎の地頭で栗崎太郎左衛門尉と称した。建長中の人である(吉田文書)。 二人の子・広幹、覚妙房がある。広幹の子を六郎と称する。幹重の子・為幹は左衛門二郎と称する(系図)。磯先の名主で、建武中の人である(無量寿寺文書)」と載せ、六地蔵寺過去帳に「妙経尼(栗崎七郎五郎の妻)、妙幸(元亀癸酉四十四、栗崎東の後室)」などと見える。 【2】橘姓 ― 肥後国(熊本県)宇土郡栗崎村より起こるという。家紋は黒餅にむかう梅、梅花の七曜。「寛政系図」に見える。 【3】雑載 ― 幕府医者の書付に「二百俵外科栗崎道有」、また岩代(福島県)に存する。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
栗崎クリサキ但馬に栗崎庄あり、その他、武蔵、常陸、羽後等に此の地名存す。 1桓武平氏大撒氏流常陸國那珂郡栗崎邑より起る。……また貞幹の弟「願佛(同六郞入道)、第經幹(同四郞)-宣幹(同四郞二郞)-有幹(同五郞二郞)」と。大掾系圖には「石川六郞高幹の弟·宗幹(栗崎九郞)」と見ゆ。……新編國志には「栗崎、茨城郡栗崎村より起る。家幹の九子宗幹·栗崎九郞と稱し、其の地頭たり。後兄高幹の後を嗣ぎ、更に石川二郞と稱す。五子幹村、貞幹、願佛、經幹、幹量と云ふ。幹村に子あり、幹廣といふ(石川系圖、及び文書)。貞幹·栗崎地頭たり栗崎太郞左衞門尉と稱す。建長中の人(吉田文書)。二子廣幹、覺妙房あり。廣幹の子を六郞と稱す。幹重の子爲幹·左衞門二郎と稱す(系圖)。磯先名主たり、建武中の人(無量壽寺文書)」と載せ、六地藏寺過去帳に「妙經尼(クリサキ七郞五郞妻)、妙幸(元龜癸西四十四、栗崎東後室)」など見ゆ。 2橘姓肥後國字土郡栗崎村より起ると云ふ、家紋黑餅にむかふ梅、梅花の七曜。寛政系圖に見ゆ。 3雜載幕府藝者の書附に「二百俵外科栗崎道有、」また岩代に存す。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ漢字を使う名字
栗崎に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「栗」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が栗崎の前後にある名字です。
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