塚本
つかもとTsukamoto
全国256位 ・ 約8.7万人
塚本(つかもと)は、伊豆などにこの地名がある。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- つかもと
- ローマ字
- Tsukamoto
- 全国順位
- 全国256位
- 推計人数
- 約8.7万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.071%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
塚本をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Tsukamoto読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 伊豆国(静岡県)
- 伊賀国(三重県)
- 摂津国(大阪府・兵庫県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
塚本(つかもと)は、伊豆(静岡県)などにこの地名がある。 橘姓 ― 河内(大阪府)の塚本氏で、楠木正成の家臣に塚本兵衛がある。その後、永禄二年の交野郡総侍中連名帳に塚本伊賀守盛重、寛永の三宮拝殿着座覚に「津田村・塚本氏二軒」などが見える。 【2】摂津(大阪府・兵庫県)の塚本氏 ― 中宮陵戸にいる。……(この先は原文の段組が崩れ、別項「津川」氏の記事に移っている) 「大塚畠具○の女で、信雄の妻の姉である。信雄の家老となり、謀られて松島城に○った」とある。「斯波」の項を参照。また牧氏の系譜に「斯波義統の弟・津川下野守義長の子、与三右衛門長○」、また「津川弥太郎義長の二男・喜右衛門長治」などを載せる。「マキ」の項を参照。 玄蕃は『家忠日記』に「天正十二年三月三日、勢州(三重県)松島の城主・津川玄蕃允、云々」とあり、また『秀吉譜』に「信雄がその家臣・松島城主の津川玄蕃允を殺す」とある。『豊鑑』には津河玄蕃とある。伊勢一志郡の松ヶ島城にいたのである。『勢陽雑記』に「津川玄蕃に松島城を賜い、天正十二年三月にこれを殺す」とあり、「津川氏の残党・津川謙人ら(津川弥太郎)がこの城に拠って滝川氏を拒んだ」とある(『三国地志』『五鈴遺響』)。また津川義銀入道三松軒の弟・右衛門尉は流浪して医を業としたという。 【2】越後(新潟県)の津川氏 ― 蒲原郡の津川邑から起こったのだろうか。上杉家の家臣に津川弾正があり、会津転封のころは三春の舞鶴城主であった。また会津の津川氏は三池文書を蔵する。『新編会津風土記』に見える。「ミイケ」の項を参照。 【3】肥後(熊本県)の津川氏 ― 永正元年の菊池政隆侍帳に津川又十郎公家が見える。 【4】雑載 ― そのほか松山松平藩の重臣にこの氏が見え、また京極殿の給帳に「三百五十石 津川勘兵衛」を挙げる。伊勢・志摩(三重県)にもある。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
塚本ツカモト伊豆等に此の地名存す。橘姓河內の塚本氏にして、楠木正成の家臣に塚本兵衞あり。その後、永綠二年交野郡總侍中連名帳に、塚本伊賀守盛重、寛永三宮拜殿着座覺に「津田村·塚本氏二軒」など見ゆ。 2攝津の塚本氏中宮陵戶に在り、大塚畠具〓の女、信雄妻の姊也。信雄の家老と爲り、謀られて、松島城に飜る。……斯波條參照。又牧氏の系譜に「斯波義統の弟津川下野守義長の男與三右衞門長〓。」また「津川彌太郞義長の二男喜右衞門長治」などを載す、マキ條を見よ。玄蕃は家忠日記に「天正十二年甲申三月三日、勞州松島の城主津川玄蕃九、云々、」また秀吉講に「信雄·其の家臣松島城主津川玄蕃尤を殺す」と。豐鑑に津河玄蓄と。伊勢一志郡松ヶ島城に居りし也。勢陽雜記に「津川玄蕃に松島城を賜ひ、天正十二年三月、之を殺す」と。「津川氏の殘黨津川謙人等(津川彌太郞)當城に據りて瀧川氏を拒む」と。(三國地志、五鈴遺響)。また津川義銀入道三松軒の弟右衞門尉は流浪して、醫〓を業とすと云ふ。 2越後の津川氏蒲原郡津川邑より起リしか。上杉家臣に津川彈正あり、會津轉封の頃、三春の舞鶴城主たり。また會津津川氏は三池文書を藏す。新編會津風土記に見えたり。ミイケ條を見よ。 3肥後の津川氏永正元年の菊池政隆侍帳に津川又十郞公家·見ゆ。 4雜載その他、松山松平藩重臣に此の氏見え、又京極殿給帳に「三百五拾石津川勘兵衞」を擧ぐ。伊勢、志摩にもあり。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
塚本と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
塚本に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「塚」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が塚本の前後にある名字です。
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