藤本
ふじもとFujimoto
全国97位 ・ 約18万人
藤本(ふじもと)は、 【1】藤原姓 ― 関白兼家の十一世の孫である愛経の三男・兼実を祖とするという。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- ふじもと
- ローマ字
- Fujimoto
- 全国順位
- 全国97位
- 推計人数
- 約18万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.15%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
藤本をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Fujimoto読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「藤本」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
『姓氏家系大辞典』第5巻 366コマに「家紋大皷藤、檜扇」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 信濃国(長野県)
- 筑後国(福岡県)
- 摂津国(大阪府・兵庫県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
藤本(ふじもと)は、 【1】藤原姓 ― 関白兼家の十一世の孫である愛経の三男・兼実を祖とするという。 【2】信濃(長野県)の藤本氏 ― 藤原氏で、家紋は大鼓藤・檜扇。……(中略)小県郡上塩尻の名族にもあり、藤本善右衛門は蚕糸業の家として名がある。 ……(中略)【4】平姓 ― 一説に服部姓という。家紋は丸に釘抜き、唐花。観世左近重○の二男・○後守稠賀が母方の家の名を名乗ったものである。『寛政系譜』に「稠賀(重○、久馬之助、源右衛門、筑後守)……」などを載せる(この系図の部分は原文の文字が崩れていて読み取れない)。 【5】摂津(大阪府・兵庫県)の藤本氏 ― 住吉郡の藤本善兵衛は本順寺の実如に帰依し、大永年間に法性寺を創立した。 【6】和泉(大阪府)の藤本氏 ― 堺の名族で、藤本庄左衛門は堺緞通を始めた。 【7】紀伊(和歌山県)の藤本氏 ― 『紀伊続風土記』は牟婁郡江住浦の地士・藤本次郎左衛門を載せている。 【8】雑載 ― そのほか『太平記』巻十四に藤本房英憲があり、田村家の家臣にも見える。また結城秀康の給帳に「三百石 御馬諸奉行 藤本九左衛門」、堀尾山城守の給帳に「百五十石 藤本勘太夫」、田中家臣知行割帳に「二百四十石 藤本忠三郎」、津山藩の分限帳に「○四○五俵 藤本外記介」などが見える。津山藩士に藤本作右衛門とその子の十兵衛があり、大村藩にもいる。また藤本鉄石は名を真金といい、津之助と称した。備前岡山の藩士で、性質は落ち着いて強く、すぐれた見識をそなえ、国典に詳しく、好んで兵書を読み、文人画をよくして天誅組の総裁と仰がれた。死んだとき四十八歳。従四位を贈られ、吉野の鷲家塚にその忠烈碑がある。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
藤本フヂモト1藤原姓關白兼家が十一世孫愛經の三男兼實を祖とすとぞ。 2信濃の藤本氏藤原氏にして、家紋大皷藤、檜扇。……又小縣郡上鹽尻の名族に在り、藤本善右衞門は蠶業製糸家として名あり。……4平姓一に服部姓と。家紋丸に釘拔、唐花。觀世左近重〓の二男ハ後守稠賀·外家の號を冒せし也。寬政系譜に「稠賀(重買、久馬之助、源右衞門、筑後守、六拉校伊勢、志白石一--充(重色)」等を載せたり。 5攝津の藤本氏住吉郡藤本善兵衞は本順寺實如に歸依し、大永中法性寺を創立す。 6和泉の藤本氏堺の名族にして、藤本庄左衞門は堺段通を始む。 7紀伊の藤本氏續風土記、牟婁郡江住浦の地士藤本次郞左衞門を載せたり。 8雜載その他、太平記卷十四に藤本房英憲、また田村家臣に見え、又秀康痢給帳に「三百石御馬諸奉行藤本九左衛門」、また堀尾山城守給帳に「百五十石藤本勘太夫」、また田中家臣知行割帳に「二百四十石藤本忠三郞」、津山藩分限幅に四〓五俵藤本外記介」等見ゆ。又津山藩士に藤本作右衞門、その男十兵衞、また大村藩にも存す。又藤本鐵石は名を眞金といひ、津之助と稱す、備前岡山の藩士にして、資性沈毅、卓識を具へ、國典に委しく、又好んで兵書を讀み、文人畫を好くし、天誅組總裁と仰がる。死せる時年四十八。贈從四位、吉野鷲家塚に其の忠烈碑あり。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
藤本と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
藤本に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
同じくらいの多さの名字
全国順位が藤本の前後にある名字です。
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