佐久間
さくまSakuma
全国257位 ・ 約8.7万人
佐久間(さくま)は、安房・武蔵・遠江などにこの地名がある。
2件の公開家系図に 3人
基本情報
- 読み
- さくま
- ローマ字
- Sakuma
- 全国順位
- 全国257位
- 推計人数
- 約8.7万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.071%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
佐久間をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Sakuma読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「佐久間」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
巴
弓を射るとき腕に着ける鞆(とも)を象り、三つを渦に組んだ図案。
丸に引両
横に引いた太い線を二本並べた図案。
九曜
中央の星のまわりに、八つの星を丸く配した図案。
『姓氏家系大辞典』第3巻 144コマに「家紋二頭左巴、丸に三引、九曜」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 武蔵国(東京都・埼玉県)
- 遠江国(静岡県)
- 安房国(千葉県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
佐久間(さくま)は、安房(千葉県)・武蔵(東京都・埼玉県)・遠江(静岡県)などにこの地名がある。 【1】桓武平氏三浦氏流 ― 前項の安房国平群郡狭隈郷、のちの佐久間村から起こった。その出自については三浦義村の三男・宗村の子孫といい、またある和田系図には「義明の四男・多々良義春の嫡男 佐久間家村」の子孫と載せ、『中興系図』に「佐久間。平姓、本国は安房。右兵衛尉義盛の三代・○盛がこれを称する。作間とも」とある。 『東鑑(吾妻鏡)』巻二十五に佐久満太郎、また『承久兵乱記』に「郷士・佐久間太郎家盛が北条泰時に属して宇治川に戦う」ことが見える。また『翁草』に鎌倉時代の武士の所領を挙げて「三千八百町 佐久間宗次郎元安」とあるが、信じがたい。 【2】上総(千葉県)の佐久間氏 ― 前項の氏と同じ。日蓮年譜に「上総国興津の邑主・佐久間重貞」があり、妙覚寺を創立した。寺伝に「文永元年十月、興津領主・佐久間重貞が上人に帰依し、釈迦堂を転じて道場とさせ、ついに本寺を建立して、その子の長寿丸をその徒弟とし、日保と称した。叔父の竹寿丸もまた徒弟となって日家と称した」という。 【3】下総(千葉県・茨城県)の佐久間氏 ― 小金の本土寺過去帳に「佐久間半三郎 天正三年七月」とある。下総の佐久間氏は剣酸漿、丸に三つ引などを家紋とする。 【4】武蔵の佐久間氏 ― 『新編武蔵風土記稿』多摩郡大久野村の条に「佐久間氏。八王子千人組の同心である。もと新井氏でこの地の旧家であったが、近ごろわけあって佐久間の家を継いだ」という。また江戸にも佐久間町がある。『御府内備考』に、佐久間氏というのは徳川の御入国以前から江戸下宿の問屋で、代々大伝馬町に住むとある。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
佐久間サクマー安房、武蔵、遠江等に此の地名存す。 1相武平氏三浦氏流前條安房國平群郡狹隈郷、後の佐久間村より起る。その出自については、三浦義村の三男宗村の後と云ひ、又一本和田系圖·「義明四男多々良義春の嫡男佐久間家村」の後と載せ、中興系圖に「佐久間、平姓、本国安房、右兵衞尉義盛三代.刺盛·これを稱す。作間とも」とあり。東艦、卷二十五に佐久滿太郎、また水久兵亂記に、「郷士佐久間太郞家盛が、北條秦時に屬して、宇治川に戰ふ」こと見ゆ。又翁草に鎌倉時代武士の所領を擧げて、「三千八百町.佐久間宗次郞元安」とあれど信じ難し。 2上總の佐久間氏前項氏に同じ。日蓮年譜に「上總國與津の邑主佐久間重貞」あり、妙覺寺を創立す。寺傳に「文永元年甲子十月、興津領主佐久間重貞、上人に歸依し、釋迦堂を轉じて、道場と爲さしめ、遂に本寺を建立し、其の子長壽丸をして、之が徒弟たらしめ、日保と稱し、叔父竹壽丸も亦徒弟となりて、日家と稱さと云ふ。 3下總の佐久間氏小金本土寺獨去帳に「佐久間半三郞·天正三年七月」と。當國佐久間氏は劔酸漿、丸に三つ引等を家紋とす。 4武藏の佐久間氏新編風土記、多摩郡大久野村條に「佐久間氏。八王子千人組の同心なり。もと、新井氏にて此地の舊家なりしが、近き頃故ありて佐久間の家をつぎし」と云ふ。また東にに久ク問町あ7.御府內備考に佐久間氏といふは、御人國以前より江戶下宿の問屋にて、代々大傳馬町に住す。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
この名字の人々
同じ読みの名字
佐久間と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
佐久間に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「佐」の字を含む名字
「久」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が佐久間の前後にある名字です。
存命の方の氏名・生年月日は自動的に伏せられています。ご自身やご家族の掲載を望まない場合は、申請フォームからお知らせください。 掲載の取り消し・名前を伏せる申請フォームへ →
