遊佐
ゆさYusa
全国1697位 ・ 約9,340人
遊佐(ゆさ)は、「和名抄」の出羽国飽海郡に遊佐郷を収める。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- ゆさ
- ローマ字
- Yusa
- 全国順位
- 全国1697位
- 推計人数
- 約9,340人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
遊佐をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Yusa読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 出羽国(山形県・秋田県)
- 羽前国(山形県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
遊佐(ゆさ)は、「和名抄」の出羽国(山形県・秋田県)飽海郡に遊佐郷を収める。……(この先は原文の行が崩れていて読み取れない。弓削氏に関する記述か)遊佐庄は平安末期、摂家領で、藤原基衡がその庄司であった。 【1】秀郷流藤原姓 ― 羽前国(山形県)飽海郡遊佐郷から起こる。前述の遊佐繁元の後といい、また小山家の庶流ともいう。「新編風土記」に「遊佐大橋址は応仁の頃、遊佐某が出羽守護代となり、その子の太郎繁光が居た地である」とある。 また酒田東禅寺城は、その創建は詳しくは分からない。源頼朝が武藤氏を大泉の庄司とした頃(「武藤」の項を参照)、坂田次郎という者がここに居り、この郡を治めていたようである。「サカタ」の項を参照。 遊佐太郎繁元は五町野という所に居たが、水害に遭い、文正年中にこの地に移った。その後、武藤左近将監満氏が遊佐氏を滅ぼし、天正年中、武藤氏はその家臣の東禅寺右馬頭にこの地を守らせた。……(中略)
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
遊佐ユサ和名抄、出羽郡飽海郡に遊佐〓を收む。……垂仁紀後裔は「官者吉備弓削弓削條參高島郡に弓削神社あり、弓削部ユナ、ヨナ、ユケヘ-ユサ吉ユサユサユサ古三の事ならん。遊佐庄は平安末期、攝家領にして、藤原基衡·その庄司たりき。 1秀〓流藤原姓羽前國飽海郡遊佐〓より起る。前述遊佐繁元の後と云ひ、又小山家の庶流也と云ふ。新編風土記に並佐大橋址は應仁の頃、遊佐某が出羽守護代となり、其の子太郞繁光が居りし地なリ」と又酒田東禪寺城は、其の創建詳ならず。源頼朝·武藤氏を大泉の庄司たらしめし頃(武藤條參照)·坂田次郞なる者·此に居り、本郡を管せしが如し。サカタ條參照遊佐太郎繁元は五町野と云ふ處に居りしが、水災に係りて、文正年中、當地に移る。その後、武藤左近將監滿氏·遊佐氏を減し、天正年中、武藤氏·其の臣東禪寺右馬頭をして之を守らしむ……
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
遊佐と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
遊佐に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
同じくらいの多さの名字
全国順位が遊佐の前後にある名字です。
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