猪瀬
いのせInose
全国1698位 ・ 約9,330人
猪瀬(いのせ)は、下野の宇都宮家配下の将にこの氏がある。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- いのせ
- ローマ字
- Inose
- 全国順位
- 全国1698位
- 推計人数
- 約9,330人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
猪瀬をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Inose読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 信濃国(長野県)
- 岩代国(福島県)
- 遠江国(静岡県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
猪瀬(いのせ)は、下野(栃木県)の宇都宮家配下の将にこの氏がある。信濃(長野県)にも存する。 命長(いのちなが)は岩代(福島県)にあり、紋は三つ柏という。井野場(いのば)、猪鼻(いのはな)は遠江国(静岡県)浜名郡猪鼻という地名を負う。源三位頼政の家臣の猪早太、すなわち猪鼻早太高直は、多田源氏大田伊豆八郎広政の子で仲政の養子であったという。その子を猪鼻力王丸という。現在も武蔵(東京都・埼玉県)にこの氏がある。 (このあと原文は「猪俣(いのまた)」の記事に移っている) ……(中略)畠山本小野系図のみは時資を横山義隆(義孝)の子とし、猪俣介三郎と号すると注し、その子の時範を猪俣野五郎と注する。これでは一代の相違があり、かつ時資の代に横山邑から猪俣邑に移ったことになるはずである。 【2】猪俣党 ― 横山党と同様、「野太郎」「野三郎」のようにその通称に「野」の字を冠するので、小野姓ということが正しいように考えられるが、詳しく観察すると、中央で栄えた小野朝臣姓ではなく、多摩郡小野郷から起こった小野氏で、武蔵国造の一族ではないかと考えられる。詳細は「横山」の項を見よ。 この氏の発祥地である那珂郡猪俣村の猪俣城については、「武蔵風土記稿」に次のようにある。「村の南西の方にある。小高い山の上で、空堀や土居の跡などが残る。伝えて猪俣氏の城跡という。当国七党系図・秩父通志などを考えるに、武蔵守孝泰の子を横山介三郎時資という。その子の猪俣兵衛尉時範がこの猪俣氏の祖である。 時範の子の小野太政家、政家の子の小二郎資綱、資綱の子の小平六範綱(「東鑑」には平六則綱に作る。「保元平治物語」には金平六範綱に作る)から六代の兵庫頭入道、その子の兵庫六郎太郎らが代々猪俣の介と号してこの地に住み、北条氏邦に従って大須賀五郎左衛門と酒勾贅野で戦い、敗れてついにこの城を退き去った。」
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
猪瀨ヰノセ下野字都宮家配下の將に此の氏あり。信濃にも存す。命長イノチナガ岩代にあり、紋は三つ柏なりと。井野場キノバ猪鼻ヰノハナ遠江國濱名郡猪鼻なる地名を負ふ。源三位賴政の家臣猪早太、卽ち猪鼻早太高直は多田源氏大田伊豆八郞廣政の子にて仲政養子なりと。其子を猪鼻力王丸と云ふ。現今武蔵に此の氏あり。……しかるに畠山本小野系圖のみは時責を橫山義隆(義孝)の子とし、猪股介三郞と號すと註し、其の子時範を豬俣野五郞と註す。かくては一代相違し、且つ時資の時代に横山邑より猪俣邑に移りし事となるべし。 2猪俣黨は橫山黨と同樣、野太郞、野三郞の如く其の通稱に野字を冠すれば、小野姓と云ふ事、正しきが如く考へらるれど、仔細に觀察するに、中央に榮えし小野朝臣姓にあらずして、多摩郡小野〓より起りし小野氏にて、武藏國造の一族ならんかと考へらる。詳細は橫山條を見よ。此の氏の發祥地那珂郡猪俣村猪俣城については武蔵風土記稿に、「村の坤の方にあり。小高き山上にて、から掘土居の跡など殘れり。相傳へて猪俣氏の城蹟と云ふ。當國七黨系圖、秩父通志等を按に、武藏守孝泰の子を橫山介三郞時資と云。其子猪俣兵衞尉時範、是猪侯氏の祖なリ。時範の子小野太政家、政家の子小二郞資綱、資綱の子小平六範綱(東鑑平六則綱に作る。保元平治物語金平六範綱に作る。)より六代兵庫頭入道、其子兵庫六郞太郎等代々豬俣の介と號して當所に住し、北條氏邦に從て、大須賀五郞左衞門と酒勾贅野に戰ひ、打負けしより終に當城を退き去れり。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ読みの名字
猪瀬と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
猪瀬に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「猪」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が猪瀬の前後にある名字です。
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