深瀬
ふかせFukase
全国1691位 ・ 約9,370人
深瀬(ふかせ)は、美濃・信濃・安芸などにこの地名が存する。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- ふかせ
- ローマ字
- Fukase
- 全国順位
- 全国1691位
- 推計人数
- 約9,370人
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
深瀬をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Fukase読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 美濃国(岐阜県)
- 信濃国(長野県)
- 安芸国(広島県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
深瀬(ふかせ)は、美濃(岐阜県)・信濃(長野県)・安芸(広島県)などにこの地名が存する。 【1】八田氏族 ― 安芸国の豪族で、高田郡深瀬邑から起こる。「宍戸系図」に「宍戸興家―元家(左衛門尉、兼安芸守。治家およそ三十二年、文明十年から永正六年に至る。五龍城を嗣子の元源に譲り、退いて深瀬郷祝屋城に居た。後に深瀬郷を次男の弾正忠隆兼に授けた。これより子孫は深瀬氏と称した)―隆蒙(弾正忠と称す。元家に従って深淵郷に住み、後に深瀬弾正忠と号した。その子孫は今に至るまでなお存する)」とある。 「芸藩通志」に「祝屋城は一に岩屋とも書く。隆兼の後、家成(深瀬式部)・直良の三代が相続いで居住した」とある。「宍戸」の項を見よ。 ……(中略)幕末、深瀬繁理(維正)を出した。勤王の士で、天誅組に入り、津藩に斬られた。贈正五位。 【3】雑載 ― そのほか信濃・摂津(大阪府・兵庫県)・武蔵(東京都・埼玉県)などに存する。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
深瀨フカセ美濃、信濃、安藝等に此の地名存す。 1八田氏族安藝國の豪族にして、高田郡深瀬邑より起る。宍戶系圖に「宍戶興家-元家(左衞門尉、兼安藝守。治家凡三十二年、文明十年より永正六年に至る。乃ち五龍城を嗣子元源に讓り、退いて深瀨郷祝屋域に居る。後に深瀨郷を次男彈正忠隆兼に授く。是より其の子孫は深瀬氏と稱す〕-隆蒙(彈正忠と稱す。元家に隨ひて深淵〓に住し、後に深瀬彈正忠と號す。其の子孫今に至りて尙ほ存す矣)」と見え、藝藩通志に「視屋城は一に岩屋に作る。隆兼の後、家成(深瀨式部)、直良の三代相續いで居住す」と。尖戶條を見よ。……幕末、深瀾繁理維正を出す、動王の士にして、天誅組に入り、津藩に斬らる、贈正五位。 3雜載その他、信濃、攝津、武蔵等に存す。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ漢字を使う名字
深瀬に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「深」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が深瀬の前後にある名字です。
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