深谷
ふかやFukaya
全国622位 ・ 約3.1万人
深谷(ふかや/ふかたに)は、伊勢・相模・武蔵・常陸・近江・陸前などにこの地名がある。
この名字はまだ図鑑に載っていません
基本情報
- 読み
- ふかや
- ローマ字
- Fukaya
- 全国順位
- 全国622位
- 推計人数
- 約3.1万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.026%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
深谷をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Fukaya読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「深谷」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
『姓氏家系大辞典』第5巻 300コマに「家紋丸に叙花菱、輪違」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 相模国(神奈川県)
- 近江国(滋賀県)
- 陸前国(宮城県・岩手県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
深谷(ふかや/ふかたに)は、伊勢(三重県)・相模(神奈川県)・武蔵(東京都・埼玉県)・常陸(茨城県)・近江(滋賀県)・陸前(宮城県・岩手県)などにこの地名がある。 【1】清和源氏小笠原氏族 ― 武蔵国幡羅郡の深谷庄から起こった。この地は国済寺の応永年中の鐘銘に深谷庄とある。『新編風土記』に「榛沢郡の深谷から起こった。すでにその郡の庄名である」とあり、また大里郡にも延びて「広瀬一村にのみこの呼び名がある」とある。この氏のことは『中興系図』に「深谷。清和(源氏)、本国は武蔵、小笠原の余流」と見える。 【2】藤原北家上杉氏族 ― 前に述べた武蔵の深谷庄から起こった。……(中略) (このあと原文の組版が入り乱れ、別項「深見」の記事が入り込む)「渤海王の裔 ― 渤海の訓読が『ふかみ』であることからこの氏を称する。家伝に『斉の渤海王高歓の苗裔で、高氏である。始祖の高寿覚は福建の人。慶長の初め、薩摩国(鹿児島県)に来て島津家久に仕えた。その男・久兵衛但有(高大誦)、その子・新右衛門貞恒(榛松、元泰、玄岱)―新兵衛有隣(国斎、右翁)―槌太郎貞雄』である。家紋は角内に九文銭。 幕府の学者の書付に『二百俵、儒者 深見玄岱(後に新右衛門と改む)』とあるのがこれである。玄岱は天満と号した。その男・有隣の弟・玄○は学者の書付に『二十人扶持、儒者 深見久之丞』と見える」。 【5】雑載 ― 福島家臣・深溝又右衛門の孫、深見重左衛門貞国(十蔵)は主家滅亡後、藤堂家に仕えたが、去って俠客となったという。また松山松平藩の用人に見え(『武鑑』)、また堀田正信の家臣に深見縫殿などがある。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
深谷フカヤフカタニ伊勢、相摸、武福、常陸、近江、陸前等に此の地名存す。 1〓和源氏小笠原氏族武藏國幡羅郡深谷庄より起る。この地は國濟寺應永年中。の鐘銘に深谷庄。新編風土記に「村一、榛澤郡深谷より起れり。既に彼の郡の庄名なり」と又大里郡にも延びて、「廣瀨一村にのみ此の唱あリ」と。此の氏の事は中興系圖に「深谷·〓和、本国武藏、小笠原餘流」と見ゆ。 2,藤原北家上杉氏族前述武藏の深谷庄より起る。……寬見よ。渤海王喬渤海の訓讀フカミなるにより此の氏を稱す。家傳に「齊の渤海王高歡の苗裔にして、高氏也。始祖高壽覺は福建の人、慶長の初め薩摩國に來り、島津家久に仕ふ。其の男久兵衞但有(高大誦)、其の子新右衞門貞恒(榛松、元泰、玄岱)-新兵衞有隣(國齋、右翁)-槌太郞貞雄」也と。家紋角擊九文錢。幕府藝者の書附に「貳百俵、儒者深見玄岱(後改新右衞門)」とある之れ也。玄當は天滿と號す。その男有隣の弟玄酸は藝者の書付に「二十人扶持、儒者深見久之丞」と見ゆ。 5雜載福島家臣深溝又右衞門の孫深見重左衞門貞國(十藏)は、主家滅亡後、藤堂家に仕へしが、去りて俠客となると云ふ。又松山松平藩用人に見え(武艦)、又堀田正信家臣に澤見縫殿等あり。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
同じ漢字を使う名字
深谷に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「深」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が深谷の前後にある名字です。
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