佐伯
さえきSaeki
全国308位 ・ 約7.2万人
佐伯(さえき)は、古代から現代まで大族の一つであり続けている。
6件の公開家系図に 7人
基本情報
- 読み
- さえき
- ローマ字
- Saeki
- 全国順位
- 全国308位
- 推計人数
- 約7.2万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.059%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
佐伯をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Saeki読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 播磨国(兵庫県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
佐伯(さえき)は、古代から現代まで大族の一つであり続けている。最初は種族の名で、異なる人種と見なされ、その勇猛で粗野な性格は一般の人が恐れるところだった。その後、その集団をもって伴部とした。佐伯部がこれである。 そしてその勇猛な性質を利用して多く軍事に使ったことからその名が次第に高まり、統率者となった皇別・神別の諸氏は有力な地位を占めるに至った。すなわち中央には佐伯連があり、神代以来の名族・大伴氏の一族で、大伴・佐伯の両族は長く宮廷の守衛であった。地方には佐伯直があり、多くは景行天皇の諸皇子の子孫で、各地に有力な守りを形づくった。 後の佐伯氏というのは多くこの両者の子孫だが、別系統も少なくない。ここでは種族名としての佐伯と佐伯部は「サヘギベ」の項で述べ、氏としての佐伯だけをこの項に収める。 【1】播磨(兵庫県)の佐伯直 ― 播磨佐伯部の伴造である。『日本書紀』仁徳天皇紀に「播磨佐伯直阿俄能胡」という人が見える。この人は『播磨国風土記』神前郡多馳里の条に「品太(応神)天皇が巡行されたとき、大御伴人・佐伯部らの始祖である阿我乃古が申して、この土地を賜りたいと願った。そのとき天皇は勅して「直(ただ)に請うことよ」と仰せられた。それゆえ多馳という」と見える。 この氏はこの阿俄能胡(阿我乃古)の子孫で、『姓氏録』右京皇別には次のようにある。「佐伯直。景行天皇の皇子・稲背入彦命の子孫である。その子・御諸別命は稚足彦天皇(諡は成務)の御代に針間国を二つに分けて与えられ、それによって針間別と号した。その子・阿良都命(一名は伊許自別)のとき、誉田(応神)天皇が国の境を定めるために巡幸され、針間国神埼郡瓦村の東の岡の上に至られた。そのとき青菜の葉が岡辺の川から流れ下ってきたので、天皇は「川上に人がいるにちがいない」と詔された」。……(引用はここで途切れている)
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
佐伯サヘギ古今を通じて大族の一たるを失はず。最初は種族名にして、異人種と見做され、その勇猛粗野の性格は一般人の恐るゝ處なりき。その後、その民團を以つて伴部となす、佐伯部これ也。而して其の勇悍なる性質を利用し、多く軍事に使役せしより、その名次第に高まり、その頭梁となりし皇別、神別の諸氏は、有力なる地位を占むるに至れり。卽も中央には佐伯連あリ.神代以來の名族大伴氏の族にして、大件、佐伯の兩族は長く禁廷の守衞たり。地方に佐伯直あり、多くは景行帝諸皇子の後裔にして、各地に有力なる藩屏を形成したりき。後の佐伯氏と云ふは、多く此の兩者の後なれど、異流も猶ほ尠からず。今種族名としての佐伯、並に佐伯部は、サヘギベ條に述へ、氏としての佐伯のみ本條に收む。 1播磨の佐伯直播磨佐伯部の伴造也。仁德紀に「播磨佐伯直阿俄能胡」なる人見え、此の人、播磨風土記、神前郡多馳里條には「品太(悲神)天皇·巡行の時、大御伴人·佐伯部等の始祖·阿我乃古、申して此の土を請はんと欲す。爾の時、天皇·勅して宣はく、直に請へる哉と。故に多馳と曰ふ」と見ゆ。この氏は此の阿俄能古(阿我乃古)の後にして、姓氏錄、右京皇別には「佐伯直。景行天皇の皇子、稻背入彦命の後也。男·御諸別命は、稚足彥天皇(諡成務)の御代、針間國を中分して、之を給ふ。仍りて針間別と號す。男·阿良都命(一名·伊許自別)、譽田(廳神)天皇、國の堺を定め給ふ爲に、車駕·巡幸し給ひい針問國神埼郡瓦村東崗の上に至り給ふ。時に青菜の葉、崗邊川より流れ下る天皇·應に川上に人あるべしと詔し給ひき。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
この名字の人々
さえき いえぬしのむすめ
載っている家系図(2)
同じ読みの名字
佐伯と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
佐伯に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「佐」の字を含む名字
同じくらいの多さの名字
全国順位が佐伯の前後にある名字です。
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