滝沢

たきざわTakizawa

全国314位 ・ 約7.1万人

滝沢(たきざわ)は、遠江・信濃・磐城・岩代・陸中・羽後などにこの地名がある。

この名字はまだ図鑑に載っていません

基本情報

読み
たきざわ
ローマ字
Takizawa
全国順位
全国314位
推計人数
約7.1万人
全国比率
日本人のおよそ0.057%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

滝沢をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Takizawa読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 遠江国(静岡県)
  • 信濃国(長野県)
  • 磐城国(福島県・宮城県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

滝沢(たきざわ)は、遠江(静岡県)・信濃(長野県)・磐城(福島県・宮城県)・岩代(福島県)・陸中(岩手県・秋田県)・羽後(秋田県)などにこの地名がある。 【1】清和源氏頼光流 ― 源三位頼政の孫・宗綱の子である黄綱が信濃国小県郡の滝沢邑に住み(『尊卑分脈』および「タカシナ」の項)、子孫が邑の名を氏としたという。 【2】岩代の滝沢氏 ― 会津三坂の元弘三年文書に滝沢小三郎入道が見え、また『新編会津風土記』大沼郡横田邑の旧家・吉郎右衛門の条に「山内家臣・滝沢河内忠長の九代の子孫である。氏勝が松坂峠で散々に敗れたとき、河内(大阪府)は新国右京・横山帯刀と三人で踏みとどまって力戦し、氏勝は虎口を逃れて大塩城に入った。後に氏勝は浪々の身となり、河内の家に居て生涯を終えたという」と見える。 ……(中略)東滝沢の前○に館があり、『矢島十二頭記』に「滝沢館は滝沢刑部と申す。何代かは分からない。しかしながら由利の仲八郎殿の末葉であることは紛れもなく、鳥海山へ鉢を納めたことで知れる。最上源五郎殿の旗下となり、由利五万八千石のうち四万八千石は豊前殿に、一万石は滝沢が知行していたところ、元和八年に最上殿が改易されたとき、滝沢殿も潰れ申した」とある。 また『新風土記』に「由利仲八郎維平の子・維久は建暦中にわけあって飽海郡へ移り、その子の正重は正応中にふたたび由利西目へ移り住んだ。その子の政春は正中年間に鳥海三郎のために川○で殺され、その子孫は民間に流浪した。 その後、応仁年中に鎌倉府の許可を得て滝沢郷を領知した。これが滝沢仲八郎政久で、政元・政安・政家と続いた。政家は文禄年中に十二頭の諸将とともに矢島氏を滅ぼしたが、矢島の残党が蜂起して滝沢を襲い、政家は自害した」とある。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

瀧澤タキザハ遠江、信濃、磐城、岩代、陸中、羽後等に此の地名存す。 1〓和源氏賴光流源三位頼政の孫宗綱の子黃綱、信濃國小縣郡瀧澤邑に住み、また尊卑分タカシナ、子孫·邑名を氏とすと云ふ。 2岩代の瀧澤氏會津三坂元弘三年文書に瀧澤小三郞入道見え、又新編會津風土記、大沼郡橫田邑舊家吉郞右衞門條に「山内家臣瀧澤河内忠長が九代の後なり。氏勝·松坂峠にて散々に敗れし時、河内、新國右京、横山帶刀と三人、踏み留まつて力戰し、氏勝·虎口を逃れ、大鹽城に入7、後氏勝浪々の身となり、河內家に居て終れりと云ふ」と見ゆ。……東瀧澤の前〓に館し、矢島十二頭記に「瀧澤館は、瀧澤刑部と申す。幾代と申す事を知らず。去りながら、由理の中八郞殿の末葉には、紛れ之れ無く、島海山へ鉢を納め候にて知れ申し候。最上源五郞殿御旗下になりて、由理五萬八千石の内、四萬八千石は豐前殿に、一萬石は瀧澤知行候處に、元和八年、最上殿·御潰れ成され候時、瀧澤殿も潰れ申し候」とあり。また新風土記に「由利仲八郞維平の子維久は、建曆中、故ありて飽海郡へ移り、其の子正重は、正應中、再び由利西目に遷住、其の子政春·正中年間、島海三郞が爲に川四に殺され、其の子孫·民間に流浪す。その後、應仁年中、鍛倉府の許可を得て、瀧澤郷を領知す。之れ瀧澤仲八郞政久にして、政元、政安、政家と連續す。政家·文祿年中、十二頭の諸將と共に、矢島氏を亡ぼせしに、矢島の殘黨蜂起して瀧澤を襲ひ、政家·自害す。

姓氏家系大辞典 第3巻 550コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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滝沢と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

同じ漢字を使う名字

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同じくらいの多さの名字

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