丸に竪木瓜

滝川

たきがわTakigawa

全国820位 ・ 約2.3万人

滝川(たきがわ)は、(冒頭の国名は原文が崩れている)上野・羽後などにこの地名がある。

1件の公開家系図に 1人

基本情報

読み
たきがわ
ローマ字
Takigawa
全国順位
全国820位
推計人数
約2.3万人
全国比率
日本人のおよそ0.019%
算出方法

上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。

都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。

ローマ字で書くと

滝川をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。

Takigawa読みをそのまま写した形

パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。

この名字に記録のある家紋

『姓氏家系大辞典』の「滝川」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。

『姓氏家系大辞典』第3巻 548コマに「家紋丸に竪木瓜、花筏と」とあります。 原典で見る →

図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。

家紋・紋章の調べ方(国立国会図書館 リサーチ・ナビ) →

名字の由来をたどる

由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。

ゆかりの地

  • 羽後国(秋田県)
  • 近江国(滋賀県)
  • 尾張国(愛知県)

引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。

滝川(たきがわ)は、(冒頭の国名は原文が崩れている)上野(群馬県)・羽後(秋田県)などにこの地名がある。 【1】紀氏族 ― 紀長谷雄の玄孫、高安庄司左衛門佐○致の五世の孫・八郎貞仲の曾孫、八郎貞勝が初めて近江国(滋賀県)一宇野城に移り住んだ。これが滝川氏の祖で、その子が八郎一勝(久助)、その子が久助一養(左近将監)であるという(「高安」の項を参照)。ただし、また伴姓ともいう。次項を参照。甲賀郡の櫟野城(桜野村)は滝川氏の居城の跡だという。 【2】伴姓 ― 前項の氏と同一で、一説に、一益の家は甲賀武士の伴党の一族で、伴資○の裔だという。おそらく三河伴氏の族だろう。『日本中興治乱記』に「滝川左近将監伴宿禰一益は甲賀郡大河原の人である。景行天皇の後胤・伴四郎○資兼の末葉である。木瓜、二引両を家紋とする」とある。 また『藩翰譜』に「滝川一益は、昔、義家朝臣の後三年の戦に随った伴の四郎兵仗資兼の後で、近江国甲賀郡大原の住人。守護の六角に罪を蒙って織田殿の家に来て仕えたという。とすればこれは伴氏である。今、滝川の家が紀氏の由に見えるのは、いかなるゆえであろうか」と載せ、頭注に「伴大納言善男の裔で、甲賀伴党のその一人。山岡の譜を見合わせるべきである」とある。 一益のことは、『信長記』永禄十二年に「尾州(愛知県)西方の長島城に北伊勢五郡を相添えて滝川左近将監に下された」とある。また『永禄記』に滝川、『安西軍策』に滝川将監、『豊鑑』に滝川左近・滝川かずさなど多く、また『伊乱記』に滝川左近将監一益、同じく儀太夫とある。

本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。

原文(文語体)を見る

瀧川タキガハ賃貸、きは、上野、羽後等に此の地名存す。 1紀氏族紀長谷雄の玄孫高安庄司左衞門佐謀致五世の孫·八郞貞仲の曾孫八郞貞勝、初めて近江國一宇野城に移り住す。これ瀧川氏の祖にして、其の子八郞一勝(久助)、其の子久助一養(左近將監)なりと(高安條參照)。されど、また伴姓とも云ふ、次項を見よ。甲賀郡櫟野城(櫻野村)は瀧川氏居城の跡也といふ。 2伴姓前項氏と同一にて、一に云ふ一益の家は甲賀武士伴黨の族にて、伴資〓の裔なりと。蓋し三河伴氏族なるべし。日本中興治亂記に「瀧川左近將監伴宿禰一益は、甲賀郡大河原の人也。景行天皇の後胤伴四郞像〓資兼の末葉也。木瓜、二引兩を家紋とす」と。また藩翰譜に「瀧川一益は、昔義家朝臣後三年の戰に隨ひし伴の四郞像仗資兼が後にて、近江國甲きは、上野、羽後天正の頃瀧仙寺の貿郡大原の住人、守護六角に罪蒙りて、織田殿の家に來り仕ふといふ。然れば是れは伴氏なり、今瀧川が家·紀氏の由に見ゆるは、如何なる故にや」、と載せ、頭註に「伴大納言善男の裔にて、甲賀伴黨の其の一人、山岡譜を見合すべし」とあり。一益の事は、信長記、永祿十二年に「尾州西方長島城に北伊勢五郡を相添へ、瀧河左近將監に下したまふ」と。また永祿記に瀧川、安四軍策に瀧川將監、豐鑑に瀧川左近、瀧川かずさ等多く、また伊亂記に瀧川左近將監一益、同儀太夫。

姓氏家系大辞典 第3巻 548コマ
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻

この項を原典で読む →

原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。

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滝川と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。

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