久米
くめKume
全国816位 ・ 約2.3万人
久米(くめ)は、また「来目」に作り、「久味(くみ)」ともある。
3件の公開家系図に 2人
基本情報
- 読み
- くめ
- ローマ字
- Kume
- 全国順位
- 全国816位
- 推計人数
- 約2.3万人
- 全国比率
- 日本人のおよそ0.019%
算出方法
上位100位は明治安田生命「全国同姓調査」(2018年・契約者約655万人)の占率、101位以下は全国の電話帳登録件数(城岡啓二・村山忠重「日本の姓の人口順のデータ」)の割合を、総務省統計局「人口推計」の総人口にあてはめた推計値です。実際の戸籍上の人数とは異なります。
都道府県別の順位は各県の上位5姓まで公表されています。
ローマ字で書くと
久米をローマ字で書くときの綴りです。読みをヘボン式でそのまま写した形と、パスポートの表記を並べています。
Kume読みをそのまま写した形
パスポートのヘボン式では、のばす音(長音)を省いて書きます(さとう→SATO)。ただし「まつうら」のように、のばす音か語の切れ目かが読みだけでは決まらない綴りもあるため、省いた形は末尾がお段+「う」の名字にだけ出しています。正式な綴りは申請先の規定をご確認ください。
この名字に記録のある家紋
『姓氏家系大辞典』の「久米」の項に出てくる家紋です。家紋は家ごとのもので、名字が同じでも同じとはかぎりません。ご自分の家の家紋は、お墓・仏壇・紋付の礼服や、ご本家・ご親族への確認でたどれます(戸籍には記載がありません)。
十文字
縦横に交わる十字の図案。
『姓氏家系大辞典』第2巻 509コマに「紋は二ツ引兩十文字」とあります。 原典で見る →
図は基本の形で描いたものです。原典の本文は機械で読み取った文字なので、誤字が混じることがあります。正確なところは原典のページでお確かめください。
名字の由来をたどる
由来は本によって説が分かれます。このサイトは解説を書かず、姓氏研究の定番『姓氏家系大辞典』(著作権の保護期間満了)の項をそのまま引きます。
ゆかりの地
- 伊予国(愛媛県)
引用した『姓氏家系大辞典』の本文に出てくる地名を、現在の都道府県に読み替えたものです。いま全国のどこに多いかを示すものではありません。
久米(くめ)は、また「来目」に作り、「久味(くみ)」ともある。なお「クマ」とも通じるようである。『姓氏録』に久米都彦を一本に久末都彦に作り、また『出雲風土記』意宇郡の久米社を原注に久末とあることによって知るべきである。 これらによれば、久米は「くま」「くみ」「くめ」と通じる語で、喜田博士が「久米は玖磨であって、久米部は玖磨人、すなわち肥人だろう」といわれた説に同意せざるを得ない。すなわち久米部は南九州の大種族である肥人で、『魏志』東夷伝に狗奴国とあるのが、この久米部の本拠だろうと考えられる。詳しくは『日本古代史新研究』を参照。 久米氏は久米部の首領、および久米部が住んだ地に発祥した氏である。「久米部」の項を参照。 【1】久味国造 ― 久味国とは後の伊予国(愛媛県)久米郡の地をいう。「久味」が「久米」と音が通じることは前に述べた。またこの国を後に久米郡といい、国造の氏姓を久米直ということによって知るべきである。この国造は『国造本紀』に「久味国造。軽島豊明朝(応神朝)、神魂尊の十三世の孫・伊与主命を国造と定められた」とある。 「伊与主」とは伊予の主人(支配者)の意で、伊予国すなわち後の伊予郡地方も、最初はこの氏が開拓したものと考えられる。『延喜式』の伊予郡伊予神社(名神大)は、天平神護二年四月紀には「久米郡伊予神」と見え、後世はまた久米郡居合村に鎮座する。郡界の変動があったためだろうが、二郡が隣接して相分けがたいことによるのは論がないだろう。なおこの神は以後の国史に伊予村神と見える。
本文の地名のうしろの小さな( )は、その旧国名がいまのどのあたりかを示したものです(訳に添えたもので、原文にはありません)。
原文(文語体)を見る
久米クメまた來目に作り、久味(タミ)ともあり。なほクマとも通ずるが如し。姓氏錄に久米都彥を、一本に久末都彦に作り、又出雲風土記、意宇郡の久米社を、原註に久末とあるによりて知るべし。此等によれは、久米は、クマ、クミ、クメと通ずる語にして、喜田博士が、「久米は玖磨にして、久米部は玖磨人、卽ち肥人ならん」と云はれし說に同意せざるを得ず。卽ち久米部は南九州の大種族·肥人にして、魏志東夷傳に、狗奴國とあるが、此の久米部の本據ならんと考へらる。詳細は「日本古代史新研究」を見よ。久米氏は久米部の首領、及び久米部が住居第二次和名的に發祥せし氏なりとす。久米部條參照。 1久味國造久味國とは、後の伊豫國久米郡の地を云ふ。久味が久米と音·通ずる事前に云へり。又此の國を後に久米郡と云ひ、國造の氏姓を久米直と云ふによりて知るべし。此の國造は、國造本紀に「久味國造。輕嶋豐明朝(應神朝)、神魂尊十三世の孫·伊與主命を國遺と定め給ふ」とあリ。伊與主とは、伊豫の主人(支配着)の意にして、伊豫國、卽ち後の伊豫郡地方も、最初此の氏が開拓せしものと考へらる。延喜式、伊豫郡伊豫神社(名神大)は、天平神護二年四月紀には「久米郡伊豫神」と見へ、後世また久米郡居合村に鎭座す。郡界の變動ありし爲ならんも、二郡が隣接して、相分ち難きに據るや論なかるべし。なほ此の神は以後の國史に伊豫村神と見ゆ。
太田亮 著 / 国民社(昭和17〜19年)・全6巻
原文は文語体のため、現代語に訳したものを載せています(内容は足していません)。引用はその項の書き出しを、文の切れ目まで載せたものです(「……」は、原文の行が崩れていて読み取れない箇所を省いた印)。原文は機械で読み取った文字で、誤字や判読できない字(〓→○)が混じります。正確なところは原典のページでお確かめください。
この名字の人々
同じ読みの名字
久米と同じ読みの名字です。渡辺と渡邊のように、同じ読みで表記の違う名字はよくあります。
同じ漢字を使う名字
久米に使われている漢字を含む、全国に多い名字です(字が同じだけで、由来が同じという意味ではありません)。
「久」の字を含む名字
「久米」で始まる・久米を含む名字
久米の字をそのまま含む、より長い名字です。
同じくらいの多さの名字
全国順位が久米の前後にある名字です。
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